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東京地方裁判所 昭和40年(ヨ)2216号 判決

申請人 岩切信 外五名

被申請人 株式会社東京新聞社

主文

1  申請人岩切、同増田、同松岡、同染谷が被申請人に対し、いずれも労働契約上の権利を有することを仮に定める。

2  被申請人は、申請人岩切に対し金七〇、一四〇円を、同松岡に対し金六八、二一六円を、同増田に対し金三九、二五五円を、同染谷に対し金二九、三五〇円をそれぞれ仮に支払え。

3  被申請人は、申請人岩切および同松岡に対し昭和四一年二月以降、同増田および同染谷に対し昭和四〇年九月以降それぞれ本案判決確定に至るまで、毎月一〇日および二五日限り、別紙(一)債権目録記載の各金員を仮に支払え。

4  申請人嶽本、同難波の各申請をいずれも棄却する。

5  訴訟費用は被申請人の負担とする。

事実

第一、当事者の主張

一、申請人らの求める裁判

(一)  申請人岩切、同増田、同松岡、同染谷が被申請人に対し、いずれも労働契約上の権利を有することを仮に定める。

(二)  被申請人は、申請人岩切に対し金七〇、一四〇円を、同松岡に対し金六八、二一六円を、同染谷に対し金二九、三五〇円を、同増田に対し金三九、二五五円を、同嶽本に対し金一〇三、九二〇円を、同難波に対し金六一、一二八円をそれぞれ仮に支払え。

(三)  被申請人は、申請人岩切および同松岡に対し昭和四一年二月以降、同増田および同染谷に対し昭和四〇年九月以降それぞれ本案判決確定に至るまで、毎月一〇日および二五日限り、別紙(一)債権目録記載の各金員を仮に支払え。

二、被申請人の求める裁判

申請人らの申請をいずれも却下する。

第二、当事者の主張

一、申請の理由

(一)  当事者および解雇・休職処分

被申請人(以下単に「会社」ともいう。)は、日刊新聞の発行、販売を業とする株式会社であり、申請人らはいずれも会社の従業員であるところ、会社は、昭和四〇年七月三〇日申請人岩切、同増田、同松岡、同染谷をそれぞれ懲戒解雇に、同嶽本、同難波をそれぞれ懲戒休職三ケ月に付する処分をした。

(二)  処分無効

1 不当労働行為

申請人岩切は、昭和三一年一〇月東京新聞労働組合(以下単に「組合」という。)に加入し、昭和三二年五月から昭和三三年四月まで中央委員、昭和三八年七月からは執行委員長兼日本新聞労働組合連合(通称「新聞労連」といい、組合の上部団体である。)中央執行委員の職にあるものであり、同増田は、入社と同時に組合に加入し、昭和三〇年度青年婦人部企画委員、昭和三一年度青年婦人部副部長、昭和三三年度中央委員、昭和三九年八月からは副執行委員長の職にあるものであり、同松岡は、昭和三二年一〇月組合に加入し、昭和三七年一一月年末闘争委員、昭和三八年度中央委員、昭和三九年八月からは書記長の職にあるものであり、同染谷は、昭和三〇年八月組合に加入し、昭和三七年五月から昭和三八年四月まで文選課機械化対策委員、同年五月から昭和三九年四月まで中央委員、同年八月からは青年婦人部書記長の職にあるものであり、同嶽本は、昭和二九年一二月組合に加入し、昭和三三年度中央委員、昭和三九年四月から同年八月まで職場委員、同年九月からは執行委員の職にあるものであり、同難波は、昭和三五年一〇月組合に加入し、昭和三九年度青年婦人部長をしたことのあるものであるところ、会社は、昭和三九年年末一時金闘争および昭和四〇年五月の春季賃上げ闘争における申請人らの正当な争議行為を理由として、前記各処分をしたものであつて、右各処分は憲法二八条、労働組合法七条一号に定める労働法の公序に反して無効である。

2 就業規則違反

会社の就業規則には解雇事由ないし懲戒処分事由を明記しているが、これは解雇ないし懲戒権を自己制限したものである。しかるに本件各処分は、右就業規則の各条項に該当する事実なくしてなされたものであるから無効である。

3 権利濫用

本件各処分は、何らの合理的理由もなしになされたものであるから、権利濫用として無効である。

(三)  賃金

1 会社の給与体系

会社の給与は、(1)基準内給与(基準給、家族手当)、(2)基準外給与(時間外勤務手当、深夜勤務手当、休日勤務手当、宿直手当、特殊手当)(3)精勤手当等で構成され、右のうち(1)は毎月末日締切で当月二五日支給、(2)は毎月末日締切で翌月一〇日支給、(3)は毎月末日締切で翌月二五日支給となつている。

2 会社における基準外給与の性格

(1) 新聞社においては、一般の会社と異り、その勤務体制は全く特異なものである。すなわち、一般会社においては、時間外勤務、深夜勤務、宿直、帰宅不能、時間外呼出し等は例外的勤務であるが、新聞社の一定職場においては、右時間外勤務は勤務シフトに組込まれていて、恒常的勤務の一内容となつており、それなくしては勤務は成立しないのである。

(2) また右各職場においては、新聞業務の右の如き特殊性から、各勤務シフトの中に数十分ないし数時間におよぶ時間外勤務あるいは深夜勤務が折込まれていて、従業員は必然的に時間外勤務、深夜勤務を行うようになつている。

申請人岩切、同増田の所属する編集局外勤の記者、同難波の所属する編集局写真部、同松岡の所属する編集局整理部の政治、経済、外電、社会面担当の場合、同染谷、同嶽本の所属する工務局文選課の各場合についても同様である。

(3) 右のように、申請人らの各職場においては、基準外給与支払の対象となる勤務(以下「基準外勤務」という。)は、勤務シフトに組込まれていて、好むと好まざるとに拘らず基準外勤務を行わざるを得ない。従つて、申請人らが本件解雇後あるいは本件休職期間中会社に勤務していたとすれば、当然右の基準外給与が会社から支払われていた筈である。よつて右の基準外給与は申請人らの平均賃金として算出されるべきものであつて、会社は申請人らにこれを支払わなければならない。

3 申請人らの基準外給与の算出方法

(1) 申請人岩切、同増田、同松岡は、本件解雇処分当時組合専従であつたので、同人らの基準外給与については、同人らと同職場、同職種に勤務し、同人らと同一年次に入社した者の基準外給与の平均額をもつて、その基準外給与額とすべきである。

(2) 申請人染谷、同嶽本、同難波の基準外給与額は、同人らの処分前年次である昭和三九年四月分から昭和四〇年三月分までの基準外給与の平均をもつて、同人らの基準外給与額とすべきである。

4 精勤手当

会社においては、欠勤が就業規則による有給休暇の日数を超えない場合、一律四〇〇円の精勤手当を従業員に支給している。よつて、申請人らに対しても、一般の従業員と同様会社はこれを支給すべきものである。

5 結語

(1) 以上の前提によつて申請人岩切、同松岡、同増田、同染谷の一ケ月分賃金を計算すると別紙(二)賃金目録のとおりとなる。

しかして、前述のとおり、申請人岩切、同松岡、同増田は本件解雇当時組合専従をしていたが、その後申請人岩切、同松岡は昭和四〇年一二月一二日、同増田は同年七月三〇日をもつて、それぞれ組合専従を解かれている。

従つて、以上に基いて計算すると、申請人岩切は昭和四一年一月末日までに受けるべき分として金七〇、一四〇円、同松岡は同日までに受けるべき分として金六八、二一六円、同増田は昭和四〇年八月末日までに受けるべき分として金三九、二五五円、同染谷は解雇の時点で同年八月一〇日に支払われるべき基準外給与の支払をうけているので、結局同年八月末日までに受けるべき分として基準外給与を除いた金二九、三五〇円の賃金請求権を有し、また申請人岩切、同松岡は昭和四一年二月以降、同増田および同染谷は昭和四〇年九月以降毎月一〇日および二五日に、それぞれ別紙(一)債権目録記載の各割合による金員の支払請求権を有する。

(2) 申請人嶽本、同難波は、本件休職処分により昭和四〇年八月ないし一〇月分の賃金のうち、基準内賃金の四割および基準外賃金、精勤手当のすべての支給を受けられなかつたので、その請求権を有する。その細目は別紙(三)賃金減額目録記載のとおりである。

(四)  保全の必要性

申請人らはいずれも労働者であつて、今日の経済状勢の下において本案判決確定に至るまで相当の期間従業員としての取扱いを受けられなかつたり、未払賃金の支払を受けられないときは、その生活は著しい窮迫状態に陥り、重大な損害を受けること明らかである。申請人嶽本、同難波については、休職期間中基準内賃金の六割の支給をうけてはいるが、基準内賃金だけについても休職三ケ月で一二割の減俸となり、更に新聞労働者の賃金において重要な部分を占める基準外賃金については、右期間中一切支払われておらず、このため両名は大きな借財を負つて苦しんでいるのであるから、右両名についても保全の必要性があることは明白である。

よつて、とりあえず本申請に及んだ次第である。

二、申請の理由に対する被申請人の答弁

(一)  認否

申請の理由(一)の事実を認める。

同(二)のうち、

1の事実中、昭和三九年一二月末ないし昭和四〇年五月二〇日の時点で、申請人岩切が執行委員長、同増田が副執行委員長、同松岡が書記長、同染谷が青年婦人部書記長、同嶽本が執行委員、同難波が青年婦人部長の職にあつたことを認め、その余の事実を争う。

2の事実中、就業規則に解雇事由ないし懲戒処分事由を明記していることを認め、その余の主張を争う。

3の主張を争う。

同(三)のうち、

1の事実を認める。ただし、精勤手当は基準外給与に含ませるべきものである。

2の事実を認め、基準外給与の支払義務があることを争う。

3の主張を争う。

4の事実を認め、精勤手当の支払義務があることを争う。

5の事実中、申請人らの主張に従えば、申請人岩切、同松岡、同増田、同染谷の賃金が別紙(二)賃金目録記載のとおりとなり、同嶽本、同難波が休職期間中受けられなかつた賃金が別紙(三)賃金減額目録記載のとおりとなること、および申請人染谷に対し解雇時に昭和四〇年八月一〇日に支払われるべき基準外給与の支払をしたことを認め、申請人岩切、同松岡、同増田が専従を解かれたことは不知、その余の主張を争う。

同(四)の主張を争う。特に、会社は申請人嶽本、同難波に対しては休職期間中も基準内賃金の六割を支給しているのであるから、保全の必要性は全くない。

(二)  処分理由

1 昭和四〇年春季賃上闘争

(1) 昭和四〇年当時、会社には組合の他に東京新聞従業員労働組合(一九六名、以下「東従労」という。)、東京新聞社員有志会労働組合(三四名、以下「有志会」という。)の従業員組織があつたが、昭和四〇年三月の要求提出に始つた右三団体の春季賃上要求については、会社は赤字経営の状況下ながら、最大限の譲歩と誠意を示し、右三団体に対して、いずれも一、八五〇円アツプの同一内容の回答を提示したところ、東従労および有志会は四月三〇日に右会社回答にて妥結した。

しかるに、組合は会社回答を拒否し、一律五、八〇〇円、調整平均五〇〇円を要求して五月一七日には全組合員の超勤拒否、同月一九日午前九時五〇分頃から全面抜打ちストに入り、その後、全面無期限ストの通告をしてきた。

(2) 本件違法行為の状況

会社は新聞発刊を一時的にも停止することは、会社の死命を制するものであるという日刊紙新聞社たる会社業務の特性と、会社再建途上の緊急事態とに鑑み、全職制を動員し、かつ争議に入つていない東従労および有志会所属の従業員の手で、新聞発刊の業務を継続しようとした。

しかるに組合は、同一九日午前一〇時頃よりその所属組合員及び部外者計約三〇〇名を会社建物内に会社の制止を排除して侵入させ、会社二階作業場(ローリング機および大刷機)および右作業場に至る通路を占拠して実力を以つて物理的封鎖をなし、会社側作業員が作業のため同所に立ち入ろうとするや実力を振つてこれを阻止するの挙にでて、もつて不法に会社業務を麻痺混乱せしめた。

そして会社の再三、再四に亘る口頭および文書(含む掲示)による退去要求を全く無視して右不法占拠を解かないのみか、逐次不法占拠者を増員し、部外者をも多数導入し、約三〇〇名をもつて右ローリング作業場はもとより、会社一階西側玄関から右作業場に至る階段、通路をも完全に占拠閉塞し、更には藁莚多数を持ち込んで右不法占拠態勢を強化し、またその際、間断なく大声にて労働歌を高唱し、或は携帯マイクで音頭をとりかん声を上げるなど怒号喧騒を極め、ひとりローリング作業場および大刷作業を阻止せしめたのみならず、同作業場に隣接する文選、組版の作業をも著しく妨害したほか、社内の平穏・秩序を全く攪乱せしめた。

すなわち会社に対するスト通告がなされる前の一九日午前九時五〇分頃から組合員は逐次会社二階工務局南側のローリング作業場に侵入しはじめ、しだいにその数を増し、渡辺企画室次長の制止を無視して、約一〇〇名をもつてローリング機二台および大刷機一台(いずれも会社所有の全台数である。)をスクラムで完全に包囲し、その周囲に重厚なピケツトを張つてこれを占拠し、会社側要員が近づくやスクラムを強化してこれを阻止し、或は殴打、足蹴をするなどの暴行を加えて、会社の右ローリング機および大刷機の運転を全く不可能ならしめた。

(右ローリング機とは、組版された活字から紙型をとる機械でその運転が不能となると如何に取材、編集や文選・組版の作業が行われようとも、又輪転印刷の機能があろうとも新聞製作は全く不可能となり、また右大刷機とは、右のローリング機にかけて紙型を作る前の段階で最終校閲をするため大組された組版からゲラ刷りを取る機械であつて、右両作業はいわば新聞製作のネツクに当る部門である。)

しかもその間、

(イ) 午前一一時頃、会社側作業員(職制および非組合員)石井植字第二課長ら四名が、夕刊一版のローリング作業を行うため、右ローリング作業場に隣接する大組作業場付近から右ローリング機に近づこうとするや、右組合員らは実力をもつて右作業員を押返してローリング機に近づくのを全く不可能にし、右作業員らをしてローリング作業を断念するの他なきに至らしめ、

(ロ) 午前一一時半頃、須田庶務部次長ら職制一〇数名が工務局への不法侵入者が増加するのを防ぐため、同局への入口の扉を閉めようとするや、組合員は、数十名を以つて右須田次長らを包囲し、押す、小突く、蹴る等の暴行を加えて、これを妨害阻止し、かつ、その際右須田次長に対し全治一週間を要した胸部および右足膝打撲傷を、坂野厚生部長に対し全治五日間を要した左足下肢・腓部打撲傷を負わせ、

(ハ) 午後零時四〇分頃、高草木工務庶務部次長ら職制一〇数名が再び右扉を閉めに赴くや、組合員約五〇名は右高草木次長らを包囲して右(ロ)同様の暴行を加えてこれを妨害阻止し、かつ、その際右高草木次長に対して、左胸部挫傷を負わせ、

(ニ) 午後二時半頃、会社は新聞発行継続のため何とかローリング作業を開始しようと企図し、森田活版部次長ら職制一〇〇名をして、ローリング機および大刷機周辺を包囲中の組合員らを排除して大組台車を大刷機に近づけ大刷作業を開始しようとするや、組合員ら約三〇〇名は厳重なスクラムを組んで「刷らせるな。」と口々に怒号し、右職制らを押返す、蹴る等の暴行を加え、また大組台車(一五〇キログラム相当)をも押返して、誤れば、これを転倒させたり、会社側要員の身体に傷害を与えるの危険さえ生ぜしめ、大刷機に近づくのを全く不可能にし、もつて右森田次長らをして大刷およびローリング作業を断念して引返すの他なきに至らしめ、かつ、その際、森田次長の眼鏡を破壊し、目に傷害を負わせるなどの暴力的違法行為を反覆した。

(ホ) 同日午後五時半頃、警察官の警告により、ローリング機および大刷機周辺の包囲を若干緩和させ、大組作業場に面する側は解放し、その他はローリング機から幾らか後退させ、いわばその三方を遠巻きにする形にさせた。

しかしながら、その余のローリング作業場および階段・通路の占拠は何ら緩和、解放せず、その後も会社の警告、制止を無視、排除して更に部外者等を多数右作業場に導入し、徹夜にて右作業場および右作業場に至る階段・通路に密集して坐込むなどの行為を続けて不法占拠を継続した。

しかも右不法占拠の一部解放により、大刷作業およびローリング作業はどうにか可能になつたとはいえ、依然その三方を包囲しており、会社側が右作業に着手するや、組版の天地左右の調整、凸版の点検など仕上げに神経の集中を要する作業にかかわらず作業員の耳元で罵声を浴びせ、シユプレヒコールをするなどして妨害をし、又、ローリング機二台のうち階段寄りの南側の一台は、組合員が接着していたため殆ど使用できない状態で、これらのため作業進行は著しく遅れた。

かつ、右不法占拠の間においても、しばしば前記同様の労働歌を高唱、かん声等を反覆して喧騒を極め、右ローリング作業はもとより、隣接の文選、組版等の作業を妨害し、この状態は、組合員が建物外に退去するまで継続した。

(ヘ) よつて会社は、会社の存立を確保し、最少限の業務継続を維持するため五月二〇日午前七時頃組合に対しロツクアウト通告をし、組合員らの会社建物内からの退去要求と立入禁止の通告をした。

しかるに、組合は会社の右要求に応じないばかりか、かえつて不法侵入者、不法占拠者を増員するなどの挙に出、同日正午頃、警察官の退去命令によつて、労組員ら全員が社屋外に退去するまで、本件不法占拠、業務妨害を継続せしめた。

(3) 本件違法行為による会社の損害

会社における本件当時の新聞製作ダイヤは別紙(四)記載のとおりで、朝刊紙四版、夕刊紙四版のいずれも各四種類の版を逐次製作発行し、朝刊各版にそれぞれ一八地区の地方版を掲載して、都合約二六種類の新聞製作を行つていた。

右大刷機およびローリング機の不法占拠のため、五月一九日午前一一時から同日午後三時までに予定されていた同所における同日付の夕刊第一版、同第四版、同第五版、同第六版の各大刷作業およびローリング作業は全く阻止された。

このため会社は、紙型製作作業を中日東京支社に依頼して何とか形だけは新聞紙の発行を続けている体裁を保つたが、何分にも他社設備の余力を利用しての作業であるため、紙型製作作業は時間的にも量的にも会社の意の如くにならず、ニユース性を使命とする新聞という点からみれば殆ど無価値に等しきが如き質的低下を来しており、また発行版別、種類、発行部数も極度に割愛、減殺するの止むなきに至らしめられた。

すなわち

(イ) 当日の夕刊の紙型製作着手が平常ダイヤよりも約一時間三〇分遅れ、このために夕刊の四版制は維持できず、結局四版および六版は製作不能となり欠版の余儀なきに至らしめられ、辛うじて一版および五版を製作し得たにすぎなかつた。

(ロ) しかも右夕刊一版についても製作の遅れからその発送はすべて定時列車に間に合わず自動車輸送したが、大部分は到着が夜半にかかり当日の配達は不能となつた(自動車輸送費約五六、五〇〇円)。

また夕刊四版および六版が製作不能となつたため、会社は窮余の策として、四版地域および六版地域に対して、一版および五版をそれぞれ流用配達したため、右地域に於ては同日付の朝刊と多くの記事の重複を生じたほか、四版地域のうちには同日中の配達が不能となつた所も多数生じた。

更に夕刊五版地域のうちにも、一部夕刊五版の発送が間に合わず、一版を流用配達せざるを得なかつた地域を生じたため右同様記事の重複の事態を招来した。

殊に同日製作の夕刊の大部分につき、株式市況、商品市況欄は、記事の差し換え補正が全く不能となり前日夕刊の市況をそのまゝ流用するという重大事態をやむなくさせられた。

(ハ) また同日午後六時以降の朝刊製作以後の作業についても、前記1(2)、(ホ)、(ヘ)の如き妨害のため、各作業、殊にローリング作業は著しい混乱、遅延を生ぜしめられ、県版の割愛・統合、新規広告の掲載不能による旧広告の流用掲載を余儀なくされた。

(ニ) 以上のごとく、本件不法占拠その他の業務妨害により、新聞の質量の著しい低下を来し、会社の信用を甚しく毀損せしめられた。報道機関の発達した現在において翌日配達の夕刊が殆ど商品価値なきものであることはいうまでもないが、記事の重複、流用による品質低下は、会社の信用に致命的打撃を与えるものであり、更に新規広告の掲載不能や、新聞の送達遅延や欠配等のため購読者や販売店等からの苦情が相次ぎ損害賠償の請求をも受けるに至つたほか、新規購読者獲得の支障等と、本件不法占拠その他の業務妨害により会社の受けた損害は誠に多大である。

かつ日刊紙の発刊を使命とし、しかも旧来の累積する莫大な赤字を抱え、会社再建のために紙面の質的改善と購読者獲得の第一歩を踏み出した矢先におけるかかる不当違法な実力行為による業務妨害のために会社の蒙つた損害は有形、無形図り知れざるものがあるといわなければならない。

2 昭和三九年年末一時金闘争

(1) 昭和三九年の年末一時金をめぐる争議は、一二月三〇日の段階で会社組合間の了解が成立し、翌三一日午前一〇時には調印の運びとなつた。

しかるに、三一日朝に至つて、組合側は調印に応ぜず、同日午後三時には組合員全員に対し職場放棄(ストライキ)を指令、実施した。

そして、組合は、午後三時頃から約二〇分間に亘り、「決起集会」と称して、折から就業中であつた会社旧社屋(会社は昭和四〇年五月五日肩書地の建物に移転したもので、それ以前は千代田区内幸町二丁目一〇番地の四階建の建物で業務を行つていた。)三階の編集局内に、会社職制の制止を排除して、組合員約二〇〇名を続々集合せしめ、スクラムを組んで社会部のデスクを幾重にもとり囲み、労働歌を高唱し、かん声を上げ、或は申請人岩切、同増田らがアジ演説をするなどして会社業務を妨害するの挙に出た。

右職場放棄指令は同日午後三時四五分に解除された。

(2) 本件違法行為の状況

右同日午後五時過頃、組合は全面無期限ストライキに突入し、これと相前後して、会社職制、非組合員、東従労員が就業中であつた会社旧社屋二階工務局作業場に会社職制の制止を実力で排除して組合員約二五〇名を侵入させ、大刷機およびローリング機を中心として重厚なスクラムを組み、ピケツトを張つて、右ローリング作業場を完全に占拠して、約三時間にわたつて、右大刷機およびローリング機の運転を全く不可能ならしめた。

(3) 本件違法行為による会社の損害

このため、同日午后四時四五分から五時五五分に予定されていた元旦号朝刊第一〇版のローリング作業は、大組を完了していながらも大刷り、紙型製作(ローリング作業)の作業を全く阻止され、結局会社をして、右一〇版の製作を放擲して、これを欠版とするの他なきに至らしめた。

日刊紙各社が紙面の充実と報道の迅速を殊に競う元旦号について、その一部を欠版にさせられたことによる信用失墜は、まことに大なるものである。

3 申請人らの責任と懲戒処分の理由

(1) 前記1・2記載の違法行為当時、申請人岩切は組合の闘争委員長、同増田は闘争副委員長、同松岡、同染谷、同嶽本、同難波は闘争委員として、いずれも争議行為の企画、決定、指導に当つていたものであるが、

(a) 昭和四〇年五月一九日から翌二〇日にわたつて行われた前記1の、会社二階ローリング作業場への不法侵入、同所の占拠および実力による業務妨害を伴う違法な争議行為につき、これを企画、決定に参画したうえ、組合員に指令して実行させたのみならず、自らも、右五月一九日午前一〇時頃より、その現場に臨んで、これら組合員と意を通じて、右違法行為を率先指揮、実行し、会社の制止、警告を無視してこれを継続させ、よつて会社の業務を阻害して、会社に多大の損害を蒙らせ、かつ、その間、会社の制止を無視して、部外者を社屋内に導入し、右違法行為に参加させた。

(b) 昭和三九年一二月三一日に行われた前記2記載の会社旧社屋二階ローリング作業場への不法侵入、同所の占拠および実力による業務妨害を伴う違法な争議行為につきこれを企画、決定したうえ組合員に指令して実行させたのみならず、自らも、当初よりその現場に臨んで、これら組合員と意を通じ、右違法行為を率先指揮、実行し、よつて会社の業務を阻害し、会社に多大の損害を蒙らせた。

(2) 申請人岩切、同増田、同松岡について

(イ) 申請人岩切ら三名の右各行為は、いずれも、会社従業員就業規則六八条一項四号、五号、九号および一〇号に該当する。

(ロ) そして、申請人岩切ら三名は、組合三役という指導的立場にあり、かつ前述の如き新聞製作業務の特性上、極めて短時間に集中する大刷作業およびローリング作業を阻止妨害することによつて新聞の製作業務を完全に麻痺させ、取材、編集、文選、小組、大組と積重ねられてまた新聞の商品的価値は、そのニユース性の喪失とともにうたかたの如く消えて、新聞の製作発刊、即ちニユースの発売を唯一最大の目的とする会社に対し回復不能の損害を与え(この点、新聞製作は、貯蔵、蓄積の可能な他商品とは全く異る特性を有するものである。)その信用を著しく傷つけることを充分知悉しながら、あえて本件違法行為に出たものであり、右(b)については、世人が最も注目する元旦号製作という重大時点に於てこれを敢行し、また右(a)については、右(b)の所為につき会社が厳重なる警告をなしたにもかゝわらず、再びかゝる悪質な違法行為を敢行したもので、その情状は極めて重大であり、右就業規則六八条二項二号に該当し、同就業規則六七条六号を適用して懲戒解雇に処するを相当とする。

(3) 申請人染谷について

(イ) 申請人染谷は、右(1)のほか会社の制止、警告を無視、排除して、しばしば会社業務の妨害行為、規律違反行為を反覆した。すなわち、

(a) 昭和四〇年五月二〇日、組合員数名を指揮して、会社が文書等の貼付を禁止している会社表玄関その他の会社の建物、施設にビラ多数を貼付した。

(b) 昭和三九年一二月三一日午后五時二〇分頃、会社活版部自動モノタイプ作業場入口において、組合員一〇数名を指揮して会社職員(非組合員)の通行を実力で阻止、妨害し、その際企画室員小川泉に対し、胸部を強圧するなどの暴行を加え、もつて会社の業務を阻害した。

(c) 同日午后六時頃、会社裏警備員配置の出入口附近において、組合員二〇余名を指揮し新聞代金支払のために来社した販売店主の通行を実力で阻止した。

(d) 申請人嶽本らと共謀して昭和三九年一二月一五日午后六時頃、就業中の編集局職場内でプラカードを持つて、デモを行ない携帯マイク放送をし、

昭和三九年一二月二二日午后三時頃、就業中の工務、広告各職場内で携帯マイク放送をし、

昭和三九年一二月二六日午后二時三〇分頃、無許可で職場を放棄して、職場懇談会を開き、

昭和三九年一二月二七日午后三時頃、就業中の編集、工務、広告各局職場内で携帯マイク放送をし、

昭和三九年一二月二九日午后、就業中の工務局職場内で携帯マイク放送をし、

昭和三九年一二月三一日午后、就業中の編集局職場内で携帯マイク放送をして、

それぞれ会社の業務を阻害した。

(ロ) 申請人染谷の右各行為は、いずれも、会社従業員就業規則六八条一項四号、五号、九号および一〇号に該当する。

(ハ) そして、申請人染谷は、組合幹部という指導的立場にあり、その情状は、前記3(2)、(ロ)記載の申請人岩切らに比すべきものがあるうえ、右(イ)記載の各所為を考慮するとき極めて重大なものがあり、右就業規則六八条二項二号に該当し、同就業規則六七条六号を適用して懲戒解雇に処するを相当とする。

(4) 申請人嶽本について

(イ) 申請人嶽本は、右(1)のほか、申請人染谷らと共謀して昭和三九年一二月一五日午後六時頃、会社の制止を無視して、就業中の編集局職場内でプラカードを持つてデモを行い、携帯マイク放送をして、会社の業務の妨害、規律違反行為をした。

(ロ) 申請人嶽本の右各行為は、いずれも会社従業員就業規則六八条一項四号、五号、九号および一〇号に該当する。

(ハ) そして申請人嶽本は、組合幹部という指導的立場にあり、その情状は前記3(2)、(ロ)記載の申請人岩切らにも比すべきものがあり、右(イ)記載の所為をも勘案のうえ、右就業規則六七条五号を適用して、懲戒休職三ケ月に処するを相当とする。

(5) 申請人難波について

(イ) 申請人難波は、右(1)のほか、昭和三九年一二月三一日午後七時三〇分頃、会社旧社屋裏警備員配置の出入口付近において、組合員約三〇名を指揮し、新聞代金支払のために来訪した販売店主の通行を実力で阻止しようとした。

(ロ) 申請人難波の右各行為は、いずれも、会社従業員就業規則六八条一項四号、五号、九号および一〇号に該当する。

(ハ) そして、申請人難波は、組合幹部という指導的立場にあり、その情状は、前記3(2)、(ロ)記載の申請人岩切らにも比すべきものがあり、右(イ)記載の所為をも勘案のうえ、右就業規則六七条五号を適用して、懲戒休職三ケ月に処するを相当とする。

三、処分理由に対する申請人の答弁

(一)  認否

1 昭和四〇年春季賃上闘争について

(1)の事実中、東従労および有志会の組織人員は不知、会社が赤字経営の状況下ながら最大限の譲歩と誠意を示したことを否認し、その余の事実を認める。なお、会社には主に正規従業員で組織された右各組合の他に、常備化された臨時従業員の組織する東京新聞臨時労働組合(略称臨労)がある。また、五月一九日のストライキは午前一〇時からであつて、午前九時五〇分頃からではない。

(2)の冒頭の事実中、組合が五月一九日全面ストに突入した後、会社二階作業所の一部および裏玄関から右作業所に至る通路に組合員を集めて滞留戦術をとつたこと、同日午前一〇時過から組合員が二階作業所のローリング機附近に集まつて職場大会を開き、職場滞留に入つたことを認め、ローリング機および大刷機をスクラムで完全に包囲占拠し、会社側作業員が近づくとスクラムで阻止し、殴打、足蹴りをするまでの暴行を加えたという点を否認し、渡辺企画室次長が制止したことは不知。

(2)の(イ)の事実中、石井植字第二課長らが、職場滞留中の組合員等の附近に姿を見せたことは認めるが、その時刻は不知、その余の事実を否認する。

(2)の(ロ)の事実中、会社側の負傷者については不知、その余の事実を認める。会社職制等一〇数名がローリング作業場への通路や工務局入口附近に滞留していた組合員を実力で引きぬき排除しようとしたので、組合員がこれをくいとめようとスクラムを組んで受動的に抵抗し、そのためもみあいとなつたものであつて、非は会社側の挑発的暴力的な行動にある。このような会社の暴力により組合員の中に多数の負傷者が出た。

(2)の(ハ)の事実を否認する。暴力を振つたのは組合員ではなくて会社側である。

(2)の(ニ)の事実中、午後二時半頃森田活版部次長ら会社職制、臨時雇の暴力団等一〇〇名以上が、ローリング機周辺に滞留中の組合員を排除するため積極的な行動を開始したことを認め、森田次長が負傷したことは不知、その余の事実を否認する。

(2)の(ホ)の事実中、警察官が争議に介入してきたこと、午後五時半頃組合が自主的にローリング機附近に滞留していた組合員を三方の壁寄りに集結させたことを認め、その余の事実を否認する。

(2)の(ヘ)の事実中、会社が五月二〇日午前七時頃組合に対しロツクアウトと会社建物からの退去、立入禁止の通告をなしたこと、組合がその後も滞留戦術を続けたところ、警察官多数が社屋内に立入り実力行使に出たため、組合員全員が社屋外に退去せざるを得なくなつたことを認め、その余の事実を否認する。

(3)の主張を争う。本件争議行為によつて会社に生じた損害は、通常、争議行為に伴い当然に生じる性質のものであつて、何ら組合を非難するに当らない。

2 昭和三九年年末一時金闘争について

(1)の事実中、昭和三九年の年末一時金について一二月三〇日会社、組合間の了解が成立し翌三一日午前一〇時に調印の運びとなつたこと、組合が同日午後三時から三時四五分まで職場放棄を指令、実施し、その間約二〇分間にわたり、旧社屋三階編集局内で職場集会を開いたこと、会社の従前の所在地および現在地への移転日を認め、その余の事実を否認する。

(2)の事実中、組合が同日午後五時過頃から全面無期限ストライキに突入したこと、組合が全面無期限ストライキ突入と同時に旧社屋二階の工務局作業場に集結したことを認め、その余の事実を否認する。

(3)の主張を争う。

3 申請人らの責任と懲戒処分の理由について

(1)の冒頭の事実中、申請人難波が昭和三九年一二月三一日のストライキの企画、決定、指導に当つたことを否認し、その余の事実を認める。

(1)の(a)、(b)の事実を否認する。

(2)の主張を争う。

(3)の事実中、申請人染谷が(d)の行為をしたこと(ただし、申請人嶽本らと共謀したことおよび会社業務を阻害したことを除く。)を認め、その余の事実を否認し、法律上の主張を争う。

(4)の事実を否認し、法律上の主張を争う。

(5)の事実を否認し、法律上の主張を争う。

(二)  反論

1 昭和三九年一二月三一日会社は組合に対し、当日のストライキについては、争議行為に関し一切の責任追及をなさない旨確認した。

2 会社は、申請人らが違法な争議行為を企画、決定、指導し、かつ指揮したことを処分理由としているが、就業規則に定める規律違反を理由とする解雇等の処分は、個別的労働関係の主体たる個々の労働者としての行為についてなしうるのであつて、団体たる労働組合としての争議行為についてなしうるものではない。また、申請人らは組合幹部として、民主的に形成された意思に基いて争議行為を実行に移したにすぎないのであるから、責任を問われるいわれはない。

なお、個々の場合に違法な争議行為があつたとしても、それは申請人らの決定、指令、指示の範囲をこえたものであり、かつ、申請人らは、その違法行為を予見、容認し、または予見しえたのにこれを防止することを怠つたこともないから、この点からも申請人らが責任を追及されるいわれはない。

第三、疎明関係〈省略〉

理由

第一、処分理由等

一、当事者および処分

(一)  被申請人は日刊新聞の発行、販売を業とする株式会社であり、申請人らはいずれも会社の従業員であつたものであるところ、会社は、昭和四〇年七月三〇日申請人岩切、同増田、同松岡、同染谷をそれぞれ懲戒解雇に、同嶽本、同難波をそれぞれ懲戒休職三ケ月に付する処分をしたことは、当事者間に争いがない。

(二)  成立に争いのない疎甲第一八号証の一、同第一九、三八号証、申請人増田本人尋問の結果により真正に成立したものと認める同第三〇、三五号証、申請人難波本人尋問の結果により真正に成立したものと認める同第三九号証、同第四〇号証の一、同第四一号証、申請人岩切本人尋問の結果により真正に成立したものと認める同第四二号証、証人紺田俊雄(第一回)の証言により真正に成立したものと認める疎乙第三二号証、右証言および申請人増田本人尋問の結果を綜合すると次の事実が認められ、右認定に反する疎明はない。

1 会社は、以前は、東京都千代田区内幸町二丁目一〇番地の四階建の社屋で業務を行つていたが(この事実は当事者間に争いがない。)、経営難に陥つたため、昭和三八年一一月二〇日以前から下話のあつた株式会社中部日本新聞社(以下単に「中日」という。)との資本および業務提携契約を締結し、株式の六〇パーセントは中日の持株となり、同年一一月には会社役員が変更され、社長には中日社長、副社長には同専務鈴木充が就任し、事実上同社の支配下におかれ、同年一二月三〇日には肩書地に用地を買収して、翌三九年早々に新社屋建設に着工、昭和四〇年五月五日には新社屋に移転した。

2 申請人岩切は、昭和三一年一〇月組合に加入し、昭和三二年度青年婦人部委員、昭和三三年度中央委員、昭和三八年春闘々争委員を経て、昭和三八年度以降執行委員長(本件処分前には昭和三八、三九年度新聞労連中央執行委員を兼務)の役職にあるもの、同増田は、昭和三〇年組合に加入し、同年八月から昭和三一年一月まで青年婦人部副部長、昭和三九年九月以降副執行委員長の役職にあるもの、同松岡は、昭和三三年組合に加入し、昭和三八年度中央委員、同年度闘争委員を経て、昭和三九年度以降書記長の役職にあるもの、同染谷は、昭和三〇年六月組合に加入し、昭和三八年八月から昭和三九年七月まで中央委員、同年八月以降青年婦人部書記長の役職にあつたもの、同嶽本は、昭和二九年一一月組合に加入し、昭和三一年一月から同年六月まで中央委員、昭和三九年九月以降執行委員の役職にあつたもの、同難波は、昭和三九年春闘において写真職場闘争委員、同年八月以降青年婦人部長の役職にあつたものであり、後記昭和三九年々末一時金闘争および昭和四〇年春闘時においては、申請人岩切は闘争委員長、同増田は闘争副委員長、同松岡、同染谷、同嶽本、同難波は闘争委員として、いずれも争議行為の企画、決定、指導に当つていたものである(ただし申請人難波は後記認定の如く企画、決定、指導に参画しなかつた場合がある。昭和三九年々末一時金闘争および昭和四〇年春闘時において申請人らがいずれも申請人ら主張の各役職にあり、右各争議の企画、決定、指導に当つていたものであることは、昭和三九年一二月三一日のストライキにおける申請人難波の行為を除き、当事者間に争いがない。)。

二、昭和三九年年末闘争以前の労使関係

前掲疎甲第一八号証の一、同第一九、三五、三八、四二号証、疎乙第三二号証、成立に争いのない疎甲第六号証の一ないし三、同第七号証の一四、同第九号証の八、同号証の一三ないし一五、同号証の二三、三〇、同号証の三五の一、二、同号証の四二ないし四四、同号証の四六、同号証の五〇の一、二、同号証の五五、五七、六一、同号証の六二の一、二、同号証の六三、六六、同号証の六四、七二の各一、二、同第一〇号証の二、同第一一号証の一、四、同第二〇号証、疎乙第七号証、証人伊藤文彦の証言により真正に成立したものと認める疎甲第一号証、申請人岩切本人尋問の結果により真正に成立したものと認める同第九号証の五四の一、二、同第一六号証の一、申請人岩切作成部分の成立につき争いがなく、その余の部分につき証人紺田俊雄(第一回)の証言により真正に成立したものと認める疎乙第八号証の一ないし三、同第一〇号証、証人西尾顕爾、同紺田俊雄(第一回)(一部)の各証言、申請人松岡本人尋問の結果を綜合すると、次の事実が認められ、右認定に反する証人紺田俊雄の証言(第一回)の一部はたやすく措信できず、他に右認定を覆えすに足りる疎明はない。

(一)  昭和三八年七月三一日頃から右申請人らはじめ組合執行部は、中日資本が会社に入つて来ることを予測し、組合は、経営陣が変更されても組合員の生活を擁護する立場から、同年八月会社に対して経営の変革に対する左記三条件の要求を提出した。〈1〉人員整理は行わない。〈2〉一方的人事異動機構改革などにより労働条件の切下げをしない。〈3〉諸協定(人事、組合活動など)、労使の慣行は経営の変更にかかわらず今後も存続させる。会社の旧経営陣は、当時すでに経営能力を失つていたので、何らの回答をしなかつたが、昭和三八年一一月二〇日中日経営陣が会社役員となつてからは、昭和三八年年末一時金の要求については、同年一二月六日団交において組合と協議成立し、その席上、鈴木副社長(会社の実質的責任者)は、組合の前記三条件を口頭で承諾し、更に同月二七日には業務提携に伴う施設、業務運営の変更に関し、労働条件に重大な影響のある場合につき「業務提携の計画策定および実施に関して社と組合は事前に協議する。将来社が機械設備を更新もしくは新設する場合社と組合は事前に協議する。」という協定を書面により締結するなど、組合に対して柔軟な態度を示し、労使関係は順調に発展するかに見えた。しかるに、同年一二月から翌三九年一月にかけて、団交は形式化し団交席上での交渉では実質的討議は行われず、会社側の交渉者は重役会、社長の単なる窓口であるかの如き観を呈し、組合から不信を買うようになり、会社は従来から労使の慣行となつていた職場交渉を禁止し、職場における時間内組合活動も禁止する態度に出たのみならず、昭和三九年一月二〇日会社が朝刊の建頁の変更(当時一二頁を二月一日から一四頁にする。)の申入を組合になしたのに対し、組合は、建頁の増加は恒常的な作業量の増加を伴い組合員の労働条件に著しい変更をもたらすものであるから、その実施には組合員の労働条件の具体的要求を聞いて、その対策をまとめ、その要求充足のための方策を十分樹立する必要があるとの態度をとり、そのため二月二二日まで会社と協議したいと申入れた。しかるに会社は、組合と交渉中の二月一三日一方的に建頁の変更を実施した。そのため組合は、会社のかかる一方的措置は、会社と組合との間の前記事前協議の協定書に反し、組合を無視するものであるとし、両者の対立を深める結果となつた。

(二)  昭和三九年三月組合は、六、三五〇円の賃上要求を提出して交渉に入つたが、会社は三月三〇日の第一次回答の直前である二八日組合に対し、突然、工務局を中心とする製作関連職場の細分化と職制の増員を行う旨を申入れた。組合は前記事前協議の協定書に基き団交による協議を申入れたが、会社は団交を拒否し、三一日夜右機構改革に伴う人事を発令し、これを一方的に実施した。このような会社の措置は前記三条件の約束並びに事前協議の協定にも反するものである。

また、会社は、組合が春闘の争議体制に入つた直後職制全員にカーキ色のジヤンパーとズボン、戦闘帽を着用させ、また社内の職場に繩をはり、入口にシヤツターをつけ、更に通路に木の柵を設けたりした。一方この頃から組合員間に執行部批判の動きが生じ、工務局および自動車部の一部が批判グループと目されていた。

(三)  組合が闘争体制に入つた四月一二、三日頃高梨敏工務局印刷部鉛版第二課長待遇は、いずれも勤務終了後の夕方、同課所属の組合員桑島秀治、同関口正己、同吉野孝の自宅を、一、〇〇〇円前後の土産物を持参して訪問し(関口宅には桑島も同行)、一時間から二時間位にわたり、桑島らに「闘争ばかりする組合は駄目だ。健全な組合を作らなければならない。」などといい、吉野には「職場で誰が信用できるか。」などといつた。

高梨課長待遇はその二、三日後の勤務時間中、会社鉛版作業所において吉野に対し、「桑島も信用できる。何かあつたら桑島と同じ行動をとれ、彼にまかせておけば間違いない。」といつた。

高梨課長待遇は五月二〇日頃桑島に対して批判グループ拡大のための運動資金として二、〇〇〇円を渡し、桑島はそのあと社外の喫茶店で鉛版課所属の組合員小森谷某に対し、批判グループに入るように働きかけた。

五月二九日頃一部組合員が闘争指令返上書を組合に提出した際、鉛版第二課においても桑島、関口、吉野、行川修平係長および伊藤和夫係長らは同返上書に署名し、六月一日それを組合に提出したが、高梨課長待遇は六月下旬から七月上旬頃この桑島ら五名を「さくら旅館」に呼び、阿野二郎工務局次長も出席の上、酒食等を供応した。

桑島は七月下旬頃の勤務終了後、高梨課長待遇に呼ばれて新橋の飲み屋「はいろう」に行つた。しばらくすると阿野次長がきて、桑島に対し「混乱期に一生懸命やつてくれた労をねぎらいたい。」といつて額面三、〇〇〇円のギフト・チエツク五枚を桑島、関口、吉野、伊藤および鉛版第二課の三上某の分として手渡した。

(四)  同年一一月六日鈴木副社長は組合に対し、労使協議会の設置および製作工程円滑化のための新勤務ダイヤ編成の二提案(以下単に「二提案」という。)を行なつて協力を要請した。一方組合は同月九日年末一時金要求書(要求額平均一二万六、七〇〇円)および団交申入書を会社に提出し、会社と組合は一時金と二提案について別別に団交を重ねていた。

会社は、同月二〇日常設協議会設置の具体案を、同月二六日新勤務ダイヤ編成の具体案を組合に提示し、一時金要求に対する第二次回答を提示した同月三〇日の団交の席上では、「この第二次回答は二提案と同時解決をすることが条件である。」との趣旨の言明をした。これに対して組合は、常設協議会設置具体案については、その中の「この協議会の議案および議事内容について秘密事項あるときは、会社と組合双方の了解を得るまでは発表しない。」との条項を特に問題視し、新勤務ダイヤ編成具体案については、その骨子である時差休憩制度は、従来、実質上の休憩時間として機能していた版待時間、手待時間を取上げるものであることを主たる理由として、これに反対し、且つ、一時金問題とは問題が別であるから、一時金問題とは切り離して別途交渉すべきであると主張して対立した。組合は、同年一二月五日スト権を確立し、更に会社と団交を重ねたが、会社が「二提案は第二次回答の条件ではなく、一時金の条件である。同時に解決しなければ来年一月になつても一時金は支払わない。」という趣旨の言明をするに至り、組合は、同月七日会社にスト通告をし、翌八日から時限スト、部分スト、指名ストを開始した。

(五)  会社は、同年一二月一日工務局に係長代理制度を新設したが、その頃唐木工務局長は、工務局の係長と共に全新任係長代理を工務局会議室に集合させ、新任係長代理に対する今後の心構えとして「これからは会社の職制になつたのであるから、会社側のことも考えて交渉してもらいたい。」との発言を行つたのであるが、これに引続いて会社職制は、組合に対する支配介入と考えられる以下の行為をした。

1 同月七日午後六時半頃宮腰孝四郎工務局印刷部輪転課課長待遇は五号機裏の事務室で松沢悦雄係長および筒井明係長を同席させて、新たに係長代理になつた輪転課所属の組合員本橋博司に対して「闘争指令が出ても慎重に行動した方がいいんじやないか、係長や係長代理はみな闘争指令を返上した。君もどうだ。」などと言い、同席した筒井係長らを指して、「この二人は指令返上書を出している。」とも言つた。

2 同月九日水越印刷部鉛版第一課課長待遇は、同部鉛版第一課の組合員浜本実雄係長代理、鹿生幸男係長、三原係長を喫茶店に呼び、「組合が今やつていることは少し行き過ぎているんじやないか。中日の経営者としても東京新聞から手を引く考えを十分持つているんだ。」との話をし、また、同月一一日田中正夫印刷部副部長待遇は、右浜本係長代理および鹿生係長に対して話があるから残るように指示し、午後五時頃両名を役員会議室に呼んで山本与三郎同課課長立会いのもとに、「あなたたちも会社の職制だし、会社の立場にある人たちではないか。工務関係の係長で残つているのはあなたたちだけだ。そろそろ考えたらどうだ。」などといい、その後両名を食事に誘つた。

3 同月一一日午後五時頃編集局理事室において、同局写真部の緊急部会が開かれ、岩井正彦同部部長心得は、坂入栄次郎同部製版課長立会のもとに、約三〇名の部員に対し会社の窮状と製作工程円滑化の必要性について説明し、「私はあえて不当労働行為といわれようと君たちにいう。もし組合が行き過ぎた場合勇気ある行動をとつてほしい。私は勇気ある行動を示してくれた人に対して責任をもつ。」、「近いうちに部員と対決せざるを得ないこともあるかもしれない。」と述べた。

4 同月二一日高草木久夫工務局技術部副部長兼庶務部副部長は、午後一時半頃から約一時間にわたり工務局談話室で輪転課所属の組合員根岸一雄に対し、まず組合の職場懇談会で誰がどのような発言をしているかを問い質したうえ、「係長、係長代理が第二組合へ行つたことについてみんなどういうことをいつているか、君はどう考えているか。」と質問し、更に「君が第二組合に来ればほかの人のように階段を一段一段上つて出世するような形でなしに、二段も三段も多く出世できるから第二組合へ来ないか。」と言つた。

5 同月二八日午後六時半頃から午後一一時頃までの間、高草木副部長は輪転課所属の組合員吉田光三郎係長代理、同小山清係長代理および生明実係長代理(生明は当日午後五時出勤、翌日午前四時退勤の勤務であつた。)の三名に対し、社外の喫茶店と飲み屋で酒食をともにしながら、「中日の経営者が信用しているのは東従労である。信用されている組合に入つた方が良い。」「君たちは職場では組合の中核になつている。君たちが組合を抜けて東従労へ入つてくれれば、あと続いて何名か入つてくる。」などといつた。

(六)  会社は、昭和二四年以来組合の要請に従つて組合費のチエツク・オフを行つて来たが、チエツク・オフの範囲は次第に拡がり、組合費のほか、組合の貸付金、労働金庫への預金および借入金の返済金、組合斡旋の月賦代金ならびに団体生命保険料にまで及んでいた。そして、昭和三二年六月に締結された労働協約が昭和三七年六月に失効した後も、同協約付属覚書の趣旨および同年七月の組合と会社間の「新たな労働協約が締結されるまでの間、旧労働協約の精神を尊重する。」との確認に基き、チエツク・オフを続けて来た。ところが会社は、昭和三九年一二月一二日組合に対し、チエツク・オフの停止を通告し、一方的に一二月分からのチエツク・オフを打切つた。

(七)  同月一七日東従労(約二〇〇名)が結成されて、翌一八日に会社と東従労とは一時金等について妥結し、また同月二九日には有志会(約三〇名)が結成されるに至つた。

会社は同月一四日午後四時頃から販売部所属の入江康之(東従労結成当時の委員長)ほか人事部、自動車部、鋳造課、輪転課、文選課、鉛版課所属の批判グループ約一〇名が新組合結成のための具体案を協議するに際し、中日東京支社の会議室を借受けて使用せしめた。また、一六日午後五時頃から輪転課所属森利一郎(東従労結成当時の書記長)ほか約六名が組合脱退届を出すことなどを協議する際に、会社社長室の使用を許した。

同月一七日午後六時頃桑島は勤務時間中で作業をしていたが、自動車部の直井道頼から連絡を受け、水越課長待遇に「大門旅館で新組合結成の会議があるから行きます。」と告げたところ、同課長待遇はすぐにそれを認めた。

また、会社は東従労結成と同時に三階総務局と企画室に隣接している小会議室を書記局として貸与した。会社は組合に対しては、従来は、申出があれば時間内組合活動を認めていたが、前記ストライキ通告後は、一二月一一日と三〇日の中央委員会開催について、中央委員に限つて承認したにすぎずその他の申出は一切許可しなかつたのに反し、東従労に対してはしばしば時間内組合活動を許可した。

(八)  会社は同月二六日社報号外を全従業員に配布したが、これに「いまわが社には何かがおしよせているような気がしてなりません。ある国を訪問するに際して“私は今祖国に帰つて来たような気持です。”といつたとかいう人の思想によつて従業員がかりたてられようとしているのです。ある会合では“われわれ闘争委員会は党の………”といつてあわてていい方を変えたと聞いています。」と記載して、暗に組合幹部を中傷した。

三、昭和三九年年末一時金闘争

(一)  前掲疎甲第一九、三五、三九号証、疎乙第三二号証(一部)成立に争いのない疎甲第七号証の二八、三一、同第九号証の八一、八五、八七の各一、二、同号証の八八、八九、証人紺田俊雄(第一回)の証言(一部)、申請人松岡本人尋問の結果を綜合すると次の事実が認められ、右認定に反する疎甲第二九号証の九および疎乙第三二号証(一部)の各記載ならびに証人紺田俊雄(第一回)の証言(一部)はたやすく措信できず、他に右認定を覆えすに足りる疎明はない。

以上のような情勢下にあつて、組合は同月二六日に闘争委員会で、基本方針の一つとして、「会社の挑発には絶対にのらず、たとえ殴られても殴り返さないこと。」を決定して組合員に周知させ、同月二八日新勤務ダイヤ編成に対する組合案を提示したが、会社に拒否され、団交打切りを宣言されたので、二八、二九の両日全員集会を開き、三〇日早朝の闘争委員会で会社最終案をのんで収拾するとの方針を出し、同日午後中央委員会でその旨決定し、会社側との打合わせで、翌三一日午前一〇時に調印する旨の了解が成立した(了解が成立したことは当事者間に争いがない。)。

なお、右中央委員会では、今後の闘い方として、年末闘争で行つたチエツク・オフの停止、脱退工作など不当労働行為については、法廷闘争を中心に闘いを組んでいくことを決定した。

ところが、三一日調印する段になつて、会社側が突如として、一時金および二提案に関する協定書のほかに、「会社は今回の争議に係る組合員の処罰は一切これを行わない。組合は昭和三九年一二月三〇日付協定書に関する異議はもちろんのこと争議に係る法律上の一切の争いを起さない。」との内容の覚書にも調印することを要求し、これに応じない限り一時金を支給しない旨言明するに至つた。このため組合は、急遽同日午後二時三〇分頃から闘争委員会を開き、このように組合の提訴権を封ずることは許すことができないとして、会社に対し、覚書の即時撤回と一時金の即時支給を要求すると共に、同日午後五時までに会社がこれに応じないときには、組合は収拾の方針を白紙にもどす旨および同日午後三時から四五分間本社組合員全員に職場放棄を指令し、初めの約二〇分間編集局で抗議のための時間内職場集会を行うことを決定した。なお申請人難波は、連絡が間に合わなかつたために、右闘争委員会の決定には参加していなかつた。

(二)  組合が三一日午後三時から組合員に対して職場放棄を指令実施し、午後三時頃から約二〇分間に亘り、会社旧社屋三階の編集局内で職場集会を開いたことおよび右職場放棄指令が同日午後三時四五分に解除されたことは当事者間に争いがない。

前掲疎甲第一九号証(一部)、同第三九号証、証人角田俊吉の証言により真正に成立したものと認める疎乙第四七号証、証人阿野二郎の証言により昭和三九年一二月三一日午後三時過ぎの編集局の情況の写真であると認める同第一四号証の一、二、証人阿野二郎の証言および申請人松岡本人尋問の結果(一部)を綜合すると、次の事実が認められ、右認定に反する疎甲第一九号証(一部)、疎乙第三二号証の各記載、申請人松岡本人尋問の結果の一部はたやすく措信できず、他に右認定を覆えすに足りる疎明はない。

右職場集会は、申請人岩切および同増田らの指揮のもとに、編集局のうちの社会部で行われ、同部では当時取材先からの電話送稿を受けたり、記事の原稿作成等の業務が行われていたが、組合員一五〇ないし二〇〇名は、会社側の退去要求にも応ぜず、机の間に立つてスクラムを組み、労働歌を唱つたりして気勢をあげ、組合役員はマイクで「職場放棄!編集の全員もここに集合せよ。」等と指示を与えたりしたため、職場は喧噪を極めた。尤もマイクの使用は、職制からの要請で途中から使用を止めたが、就業中の非組合員は騒音のため非常な迷惑を蒙つた。しかし、当時突発事件の取材出動などの事態が発生しなかつたため、結果的には、右集会によつて会社側はほとんど損害を蒙らなかつた。

(三)  前掲疎甲第七号証の三一、同第一九号証、疎乙第三二号証、同第四五号証(一部)、申請人松岡本人尋問の結果により真正に成立したものと認める疎甲第二一号証、昭和三九年一二月三一日午後五時以降の旧社屋二階工務局作業場内の情況の写真であると認める疎甲第二二号証の一、疎乙第一四号証の三ないし六、同第一五号証の一の一三、証人角田俊吉の証言により右同日同所の情況の写真であると認める同号証の一の一四、証人阿野二郎の証言により真正に成立したものと認める同第四六、五一号証、証人阿野二郎、同紺田俊雄(第一回)、同角田俊吉の各証言、申請人松岡本人尋問の結果(一部)および弁論の全趣旨を綜合すると、次の事実が認められ右認定に反する疎乙第四五号証の記載および申請人松岡本人尋問の結果の各一部はたやすく措信できず、他に右認定を覆えすに足りる疎明はない。

組合は、前記闘争委員会の決定に基き、三一日午後四時頃会社側に覚書の即時撤回と一時金の即時支給を要求すると共に、同日午後五時までに会社がこれに応じないときには、実力行使をも辞さない旨の通告書を手交したが、会社側の態度に変化がなかつたため、闘争委員長である申請人岩切は午後五時五分頃、勤務中の本社の全組合員に対し、「全組合員は三一日午後五時六分以降職場を放棄し、二階の工務局に集合、時間内集会を開け。」との闘争指令を発して全面無期限ストライキに突入すると共に、これと相前後して、旧社屋二階工務局作業場のほぼ中央にある大刷機およびローリング機周辺に組合員約二五〇名を集結させた(組合が三一日午後五時過頃から全面無期限ストライキに突入したことおよびそれと同時に旧社屋二階の工務局作業場に組合員を集結させたことは当事者間に争いがない。)。そして組合員らは、申請人岩切、同増田、同松岡らの指揮のもとに、ローリング機はもちろん大刷機、植字組台、手動モノタイプの間にびつしりとスクラムを組み、台車はおろか人さえも通そうとせず、このため紙型取り作業はできなくなつた。これに対して会社側は何度か退去を要求したが、組合側は会社の制止を無視して組合員を工場内に導入し、組合員はスクラムを組み、労働歌を唱つて気勢をあげた。

ところで、右のローリング機とは、組版された活字から紙型をとる機械で、その運転が不能になると、如何に取材、編集や文選、組版の作業が行われようとも、また輪転印刷の機能があろうとも、新聞製作は全く不可能となり、また大刷機とは、ローリング機にかけて紙型を作る前の段階で最終校閲をするため大組みされた組版からゲラ刷りを取る機械であり、会社にはローリング機が二台、大刷機が一台しかないこととあいまつて、右両部門はいわば新聞製作のネツクに当る部門である。

同日は大晦日で、元旦号の印刷をしなければならない日であつたが、会社側が「読者は新年号を待つているのだ。その新年号を刷る時間は刻々とすぎて行く。妨害をやめて新年号が刷れるようにしてくれ。」と訴えたが、組合側が右両機械の周囲を包囲し続けたため、遠隔地に発送するための元旦号朝刊第一〇版の大組みは午後五時五〇分頃には完了し、会社としては、職制および組合員以外の従業員で大刷り以下の工程の作業をするつもりであつたが、大刷りおよび紙型取り作業ができないために、結局右第一〇版は時間に間に合わなかつたため、欠版とするのやむなきに至つた。会社側は、右の口頭による退去要請以上に、実際に組版を乗せた台車を選んできて、作業をさせるように要求することまではしなかつたのであるが、そのような実力による業務の遂行ないしは組合員の排除をしなかつたのは、当時旧社屋の右作業場は狭隘であり、そこには活字のうま等があり、組合員が充満している情況では、右行為にいでるときは、組合員並びに職員に危険が生じ或いは組版も破壊される恐れが十分にあつたためである。

なお、被申請人は、組合は会社職制の制止を実力で排除して組合員を侵入させた旨主張し、疎乙第三二号証には右主張に副う記載があるが、右記載はたやすく措信できず、他に右事実を認めるに足りる疎明はない(なお、キヤスター室入口の件については後述する。)。

(四)  前掲疎甲第三九号証、同第四〇号証の一(一部)、証人角田俊吉の証言により真正に成立したものと認める疎乙第五〇号証(一部)、申請人松岡本人尋問の結果により昭和三九年一二月三一日午後五時過ぎのキヤスター室入口の情況の写真であると認める疎甲第二二号証の二、三、申請人難波本人尋問の結果により右同日同所の情況の写真であると認める同第四八号証、疎乙第一五号証の四の三、証人阿野二郎の証言および申請人難波本人尋問の結果により右同日同所の情況の写真であると認める同号証二の五のイ、ロ、証人阿野二郎の証言、申請人難波、同松岡(一部)各本人尋問の結果を綜合すると、次の事実が認められ、右認定に反する疎甲第四〇号証の一および疎乙第五〇号証の各記載の一部、申請人松岡本人尋問の結果の一部はたやすく措信できず、他に右認定を覆えすに足りる疎明はない。

申請人染谷は、三一日午後五時からのストライキ突入後直ちに青年行動隊書記長、闘争委員として、闘争委員会の決定および闘争委員長の指示に基き、工務局活版部入口五ケ所のうち、食堂前入口と活版部自動モノタイプ作業場(キヤスター室)入口の二ケ所に、各四、五名でピケツトを張るよう青年行動隊員に指示し、申請人染谷自身は食堂前入口のピケツトについていた。一方、企画室員小川泉は、午後五時二〇分頃キヤスター室の方から組合員がローリング機のまわりに集まつて来るのを見て、組合員の増加を防ぐために、キヤスター室入口を封鎖することを考え、他の職制らと共に、キヤスター室入口を閉めにかかつた。申請人染谷は組合員の連絡でその場にかけつけて、小川らと押問答をくり返したが、その間に組合員は二〇名位になり、会社側にも職制らが応援にかけつけて実力で組合員の排除にかかつたため、それに抵抗する組合員との間でもみ合いとなり、結局、組合員は排除されて扉は閉められたものの、その際、右小川は胸部等を強圧され、また組合員にも擦過傷を負つた者がいた。

なお、被申請人は、申請人染谷は組合員を指揮して会社職員(非組合員)の通行を実力で阻止、妨害した旨主張するが、右事実を認めるに足りる疎明はない。

(五)  前掲疎甲第三九号証、同第四〇号証の一、証人角田俊吉の証言により真正に成立したものと認める疎乙第四九号証(一部)、申請人難波本人尋問の結果により昭和三九年一二月三一日午後七時過ぎの旧社屋裏玄関の情況の写真であると認める同第一五号証の四の四のイ、ロ、申請人難波、同松岡(一部)各本人尋問の結果を綜合すると、次の事実が認められ、右認定に反する疎乙第四九号証の記載および申請人松岡本人尋問の結果の各一部はたやすく措信できず、他に右認定を覆えすに足りる疎明はない。

三一日組合は、旧社屋裏玄関に一〇数名でピケツトを張つていたが、これはスト破りを防止するためのもので、職制等の通行は自由であつた。ところが午後七時頃会社側職制と同様のカーキ色のジヤンパーを着た「販売店の者」と称する者数名が、職制数名と共にやつて来て、「納金に来たんだ。どけ!どけ!」「ストライキなんかやめろ!」と言つてピケ隊に体当りしてきた。連絡を受けてかけつけた申請人難波、同染谷は、販売店の者と称する者が職制と同じ服装をしていることなどから、真に納金に来たのではなく、スト破りに来たのであると判断し、ピケ隊員らに「挑発にのるな!」と指示すると共に、スクラムを組んでこれに対抗したが、彼らが「納金に行きたいので通してくれ。」とくり返すので、結局、午後七時半頃代表者二、三人を通した。

被申請人は、右「販売店の者」と称する者が新聞代金支払のために来訪した者であると主張し、疎乙第四九号証には右主張に副う記載があるが、必ずしも措信できず、他に右事実を認めるに足りる疎明はない。また被申請人は、右と同様のことが午後六時頃にも発生した旨主張し、疎乙第四九号証には右主張に副うかの如き記載があるが、これのみによつて右事実を認めることはできず、他に右事実を認めるに足りる疎明はない。

(六)  前掲疎乙第三二号証、成立に争いのない疎甲第六号証の一一の二、同第九号証の九〇、申請人岩切本人尋問の結果により真正に成立したものと認める同第四三号証、証人紺田俊雄の証言(第一回)を綜合すると次の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる疎明はない。

事態をこのまま放置すれば元旦号の発行は全面的に不能となり、読者を失うことになりかねないと判断した会社は、組合側に対して午後八時過ぎ覚書案を白紙に返す旨通告し、組合もこれを容れてストライキを解除したため、争議は解決するに至つた。なお、その際組合から会社に対し、同日の争議の責任追及と賃金カツトをしないで欲しいとの申入れがなされ、会社側は、右の二点については今後両者で前向きの形で話合う旨を確認した。

申請人らは、会社は、当日のストライキについては、争議行為に関し一切の責任追及をしない旨確認した旨主張し、疎甲第一九号証の記載、申請人増田、同松岡各本人尋問の結果には、前記前向きの形で話合う旨の確認は、責任追及をしないという趣旨であるとの部分があるが、必ずしも措信できず、他に右事実を認めるに足りる疎明はない。

四、昭和四〇年春闘以前の労使関係

前掲疎甲第一、二〇号証、同第三〇号証(一部)、同第三五、四二号証、疎乙第三二号証、成立に争いのない疎甲第七号証の三三、三四、同第九号証の九四の一、二、同号証の九九の一ないし三、同号証の一〇二の一、二、同号証の一〇五、一〇六、一二〇、同号証の一二一の一、二、同号証の一二二、一二三、同第一〇号証の三、証人紺田俊雄(第二回)の証言により真正に成立したものと認める疎乙第三五号証、同第三九号証の一(一部)、申請人岩切作成部分については成立に争いがなく、その余の部分につき弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める同第一二号証の一ないし四、証人紺田俊雄の証言(第二回)、申請人増田本人尋問の結果を綜合すると、次の事実が認められ、右認定に反する疎甲第三〇号証および疎乙第三九号証の一の各記載の一部はたやすく措信できず、他に右認定を覆えすに足りる疎明はない。

(一)  昭和四〇年一月五日東京における会社の最高責任者鈴木副社長は、恒例の賀詞交換会において、「私の手元へ沢山の年賀状が社員諸君の間からもやつてまいりましたが、そのうち一番私の胸を打つた一通があります。これにはこう書かれています。『今年こそ、わが東京新聞社から不当労組運動を追放したいものです。東京新聞は革命のレツスン場ではなく、ひたいに汗して働く場であるという健全思想を樹立させたいものです。』きわめて短い文句でありますけれども、この短い文句の中に、私は烈々たる愛社精神の発露を見出したわけであります。」と挨拶して、暗々裡に組合を非難し、右挨拶内容は同月三〇日付の社報に登載されて、社員に配布された。

(二)  同月二三日組合は昭和三九年年末闘争を総括し、会社が行つた不当労働行為の提訴問題や昭和四〇年春闘の闘争方針などをきめるための臨時大会を開催した。その際会社は昭和三七年八月一一日付の「業務に支障のない限り、勤務時間内の組合活動を認める。」という協定があるのに、編集局社会部工務局を中心に、組合大会代議員に対し、時間内組合活動を承認しなかつた。組合は、大会の数日前から職場討議を行い、有給休暇の残つている代議員にはこれを利用させ、あるいは時間内組合活動を承認されない代議員が、公休の組合員に代議員権を委任したりして大会を成立させた。

(三)  会社販売局の販売担当員は編集局の外勤記者と同様、販売の第一線で活躍する花形であり、内勤の従業員は販売担当員になりたいとの希望をもつていたものであるところ、右と同じ頃森販売局長は藤村、工藤、三田らの組合員に対し「組合に残つている限り、販売担当員にはさせられない。」と言つた。

(四)  組合は、同年二月一八日会社に対し「会社が年末闘争の中で一方的に停止したチエツク・オフの即時再開、年末闘争における不当労働行為の陳謝」を要求し、「チエツク・オフを再開し、時間内組合活動に対する制限や東従労等には時間内組合活動を認めるという差別待遇をやめ、不当労働行為を陳謝し、今後このようなことをしないと約束するなら、都労委に訴えることを考えなおしてもよい。」と伝えたが、会社が態度を明らかにしなかつたので、同年三月六日会社に対し「八日に都労委に救済申請をする。しかし今後会社が納得のいく態度を打ち出せば、いつでも交渉に応ずる用意がある。」ことを通告し、同月八日都労委に救済申立をした。(なお昭和四二年九月二六日都労委から救済命令が発せられた。)

(五)  1 昭和四〇年春の賃上要求は、同年二月二七日に東従労(四、八〇〇円)から、三月八日に有志会(四、二〇〇円プラスアルフア)から、そして同月一〇日に組合からそれぞれ要求書が会社に提出された。組合の要求内容は一律五、八〇〇円、調整平均五〇〇円であつた(この事実は当事者間に争いがない。)。ところが会社は賃上回答は延ばしたまま、同月二〇日「四月初旬をめどに中日東京支社の取材部門と東京新聞の取材部門を一緒にし、両社の編集局は共同して取材編集に当る。」という内容の機構改革と配転計画を組合に内示した。これに対して組合は事前協議協定に基いて会社が誠意をもつて団交で協議するように要求する一方、疑問点について二回にわたり「質問ならびに意見書」を提出して、明確な回答を要求し、会社はこれに回答はしたが、組合の納得を得ないまま、同年四月五日一方的にこれを実施した。

2 会社は賃上要求について前記三団体と交渉を重ね、同月三〇日に東従労および有志会に賃上額一、八五〇円を内容とする第三次回答を提示して妥結した(回答内容および妥結の事実は当事者間に争いがない。)が、組合にはこの日には回答を提示しなかつた。そして、五月五日前述のように新社屋に移転した後、同月七日組合に対して、右の第三次回答を提示すると共に、「これ以上絶対に出せない。第三次回答をのむ以外には団交をやつても意味がない。」と言明した。これに対して組合側は、会社側の態度を非難すると共に、団交開催を要求したが、会社側はこれを拒否した。そこで組合は翌八日スト権確立のための全員投票に入り、同月一五日にスト権を確立した。そして一七日には全組合員が超勤拒否闘争に入つた。

3 ところが鈴木副社長は、同日午後一一時発送職場で超勤拒否に入つた組合員に「作業を中止するものは処分だ。」とどなり、二階工務局では、申請人松岡をはじめ組合員に「仕事をしないものは処分だ。」「おれの気質を知らないのか。おれは断固やるぞ。」と片手をふりまわして言つた。

なお、そのころから職制は全員カーキ色のジヤンパーとズボン、戦闘帽を着用するようになつた。

五、昭和四〇年春季賃上闘争

(一)  前掲疎甲第三〇号証、成立に争いのない同第七号証の三七、証人角田俊吉の証言により真正に成立したものと認める同第五五号証、申請人増田本人尋問の結果を綜合すれば、次の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる疎明はない。

同月一八日から一九日にかけての闘争委員会において、一九日に全面ストライキを決行することとし、その態様について、

(イ) 会社がロツク・アウトを準備しているので、ストライキ突入と同時に、新社屋二階工務局の一部で抗議集会を開き、ここに滞留して団結の示威を行う。

(ロ) ピケは、社屋の出入口五ケ所のうち裏玄関一ケ所に張り、就労しようとする非組合員を説得する。それでも入ろうとするものは入れる。

(ハ) 組合事務所(闘争本部)への通行を確保するため、裏玄関から四階に通ずる階段と、四階々段から組合事務所までの通路に組合員の一部を滞留させる。

(ニ) 二階工務局への出入口五ケ所のうち、滞留場所に最も近い出入口二ケ所から階段までに、組合員の一部を滞留させる。

(ホ) スト破りや分裂工作をもち込み、組合員を引抜きに来る者に対処するために説得班を置く。説得班は申請人増田を責任者として編集局のベテラン記者を配置する。

との方針を決定し、一九日午前九時五〇分頃組合員に対し、午前一〇時から全面ストライキに入る旨指令すると共に、午前一〇時頃に会社に対し、会社が組合の賃上要求に応じない場合には、同日以降いつでもスト権を発動して争議行為に入る旨通告すると共に、その頃から全面ストライキに突入した(超勤拒否、スト通告、全面ストライキ突入の事実は当事者間に争いがない。)。

これに対して会社側は、どうしても繰業を継続し、新聞発行は停止しないとの基本方針で臨んだ。

(二)  前掲疎甲第三〇号証、疎乙第三五号証(一部)、同第四五、五五号証、申請人増田本人尋問の結果により真正に成立したものと認める疎甲第二号証、同結果により、昭和四〇年五月当時の会社新社屋二階工務局の平面図であると認める疎乙第三七号証、証人石井義誠の証言により真正に成立したものと認める同第四一号証、証人紺田俊雄(第二回)の証言により真正に成立したものと認める同第四三号証の三、四、六、申請人難波、同増田各本人尋問の結果により昭和四〇年五月一九日午前一〇時頃ないし一一時頃の会社新社屋二階工務局の情況の写真であると認める疎甲第一二号証の二ないし四、証人角田俊吉の証言により右同様の写真であると認める疎乙第一三号証の四、同証言および証人石井義誠の証言により右同様の写真であると認める同号証の一のハ、証人角田俊吉の証言および申請人増田本人尋問の結果により右同様の写真であると認める同号証の一のイ、ロ、同号証の二、同第一五号証の一の一ないし六、証人紺田俊雄の証言(第二回)により右同様の写真であると認める同第三八号証の六の一ないし三、証人阿野二郎の証言により右同様の写真であると認める同号証の六の五、弁論の全趣旨により右同様の写真であると認める同号証の六の四、七、一〇、証人阿野二郎、同石井義誠、同紺田俊雄(第二回)の各証言および申請人増田本人尋問の結果(一部)を綜合すると、次の事実が認められ、右認定に反する疎乙第三五号証の記載、申請人増田本人尋問の結果の各一部はたやすく措信できず、他に右認定を覆えすに足りる疎明はない。

同日午前一〇時頃から組合員は二階工務局作業場に集結し始め、申請人岩切、同増田、同松岡、同難波らに指揮され、約一〇〇名位でローリング機二台および大刷機一台(いずれも会社所有の全台数である。)をとり囲み、重厚なスクラムを組んで歌を唱い、あるいはシユプレツヒコールをして気勢をあげた(同日午前一〇時過から組合員が二階作業所のローリング機付近に集まつて職場大会を開き、職場滞留に入つたことは、当事者間に争いがない。)。これに対して会社側は口頭および掲示でその場からの退去を要求したが、全く効果がなかつた。

当時夕刊第一版の降版時間は一一時と予定され、その頃から大刷機およびローリング機を使用する必要があつたが、降版時間が迫つても組合員が退去しないため、会社側は、午前一〇時四〇分頃職制が実力で組合員を排除することとし、二〇ないし三〇名が現場へ向い、組合員につかみかかつた。これに対して組合側がスクラムを組んで抵抗したりしたため、相当の混乱を生じ、会社側、組合側の双方に怪我人を生ずる事態にまでなつた。一方会社側では、夕刊第一版の大組みが済んだので午前一一時頃大刷機の様子を見に行つたが、右のような状態で、とても作業できる状態ではないと判断し、鈴木副社長は、新社屋において紙型を取ることを諦め、中日東京支社で紙型をとることとして、組版をその方に運ぶように指示し、以後、大刷りおよびローリング作業は中日東京支社で、印刷は旧社屋で行われた。なお、右経過の中で、会社側は作業のため組版を右作業場に持つて行くまでのことはしなかつた。

被申請人は、午前一一時頃石井植字第二課長ら四名が夕刊一版のローリング作業を行うため、右機械に近づこうとするや、組合員らは実力をもつて右作業員を押し返して近づくのを全く不可能にし、ローリング作業を断念するの他なきに至らしめた旨主張し、疎乙第三五、四一号証には右主張に副う記載があるが、たやすく措信できず、他に右主張を認めるに足りる疎明はない。

(三)  前掲疎甲第二号証、疎乙第三五、四五号証、証人角田俊吉の証言により真正に成立したものと認める同第二一号証の一、二、一六、同第五二号証の一、証人紺田俊雄(第二回)、同阿野二郎の各証言により昭和四〇年五月一九日午前一一時半頃の会社新社屋二階工務局入口付近の情況の写真であると認める同第一三号証の五、証人紺田俊雄(第二回)、同阿野二郎の各証言および申請人増田本人尋問の結果を綜合すると、次の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる疎明はない。同日午前一一時半頃須田庶務部次長ら職制一〇数名は、組合員が工務局へ入るのを防ぐため、同局への入口の扉を閉めに赴き、扉の付近に居た組合員を排除して扉を閉めようとしたところ、これを阻止しようとする組合員がスクラムを組んで押し返したりしたため、組合員との間でもみ合いとなり、扉は一旦は閉められたが、再び組合員によつて開けられた(職制らが扉を閉めようとしたこと、組合員がこれを阻止しようとして職制との間にもみ合いを生じたことは当事者間に争いがない。)。このもみ合いで、須田庶務部次長が左側膝関節部打撲症を、坂野厚生部長が左側足部打撲症をそれぞれ負つた。

同日午後零時四〇分頃右扉を閉めるために、高草木工務庶務部次長ら職制一〇数名が再び赴いたが、前同様組合員の抵抗にあつて目的を果さなかつた。その際、右高草木は左胸部挫傷を負い、また組合員側にも負傷者が出た。

(四)  前掲疎甲第二、三〇、四二号証、疎乙第三五号証(一部)、成立に争いのない疎甲第五〇号証の一、申請人岩切本人尋問の結果により真正に成立したものと認める同第四五号証の一、証人角田俊吉の証言により真正に成立したものと認める疎乙第二一号証の七、証人紺田俊雄(第二回)、同阿野二郎の各証言および申請人増田、同難波各本人尋問の結果を綜合して昭和四〇年五月一九日午後二時半ないし三時頃の会社二階工務局作業場の情況の写真であると認める疎甲第四七号証、疎乙第一三号証の六、同第一五号証の一の八ないし一〇、同第三八号証の六の一一、一二、証人阿野二郎、同紺田俊雄(第二回)の各証言の一部、申請人増田、同難波、同岩切各本人尋問の結果を綜合すると、次の事実が認められる。

同日午後二時一〇分頃鈴木副社長は、会社新社屋四階会議室に職制を集め、「どうしても新聞は会社で発行しなければならない。そのためのあらゆる努力をして労組の不法占拠と妨害を排除しよう。」と指示し、午後二時半頃森田活版部次長ら職制一〇〇名位がローリング機および大刷機周辺を包囲中の組合員らを排除しにかかつた(午後二時半頃森田活版部次長ら一〇〇名位がローリング機周辺に滞留中の組合員を排除するため積極的な行動を開始したことは当事者間に争いがない。)。

会社側は、大組台車に古い組版を乗せ、その周囲を右職制らがとり囲んで進み、申請人岩切、同松岡の指揮のもとにスクラムを組んで台車の進行を阻止しようとする組合員を、あるいは職制が実力でこれを排除し、あるいは台車(一五〇キログラム相当)を直接組合員の隊列に押し込み、組合員がひるんだすきに進むという具合にして、大刷機までたどりつき大刷りをしたが、組合員の抵抗にあい、それ以上にローリング作業にとりかからないで引揚げた。右の過程において、会社側、組合側の双方に怪我人が出た。

被申請人は、右認定と異り、「会社は新聞発行継続のため何とかローリング作業を開始しようと企図し、大組台車を大刷機に近づけ大刷作業を開始しようとした。」旨主張し、疎乙第三五号証、同第五四号証の一、同第五八号証の各記載および証人紺田俊雄(第二回)、同阿野二郎、同石井義誠の各証言には、右主張に副う部分があるが、たやすく措信できない。すなわち、右各疎明によれば、「当日の夕刊第六面は、組合のストライキのためにやむなく全面広告としたが、第六面は第二社会面だから全面広告ではまずいので、社会記事をいれた第六面を作ろうとして組版を作つて台車に乗せた。」ということになるが、前認定のように、当時夕刊の製作作業は中日東京支社および旧社屋で進行していたのであるから、会社が真に第二社会面を作成する意図であつたとすれば、その組版か、紙型か鉛版か、いずれかの形で旧社屋又は中日東京支社に運んで第一面から第五面までの分と一緒にして印刷しなければならなかつたのであるところ、前掲疎乙第四三号証の六、証人角田俊吉の証言により真正に成立したものと認める同第一七号証の一の三、証人石井義誠の証言によれば、当日会社では夕刊五版および六版(最終版)を統合版として出すこととし、実際に大組みを終つて降版したのは、通常の六版の降版時間である二時二〇分から三〇分にかけてのことであり、二時四一分には既に印刷が始つており、しかも新社屋から旧社屋に行くには自動車で一五、六分かかるのであるから、前認定のように、二時半頃から新社屋でローリング作業を開始したのでは、到底時間的に間に合わないこととなり、このことは、会社の幹部も充分承知していたものと推測される。従つて、会社に真に第二社会面を出す意図があつたのであれば、組合員を排除して新社屋でローリング作業をすることを固執するよりも、先きに行なつたと同様、組版を中日東京支社に運んでローリング以下の作業を行なつたはずである。そのうえ、被申請人は、訴訟の過程において第二社会面の記事の内容を具体的に明らかにしないが、真に作成する意図があつたのであれば、ローリング作業まで終つていたのであるから、それを明らかにできないはずはない。以上の事実を考えると右各疎明はたやすく措信できないものというべく、他に右認定を覆えすに足りる疎明はない。

(五)  前掲疎甲第三〇号証、疎乙第三五号証、同第四五号証(一部)、同第五五号証、中村正名義の書き込み部分を除いて成立に争いのない同第三六号証、申請人難波本人尋問の結果により昭和四〇年五月二〇日の会社新社屋内、外の情況の写真であると認める疎甲第一二号証の一四ないし二二、証人角田俊吉の証言により同月一九日午後六時頃の工務局の情況の写真であると認める疎乙第一五号証の三の二、右証言により同月二〇日の右同所の情況の写真であると認める同第一三号証の七、八、同第一五号証の一の一一、一二、同号証の三の三、同号証の四の二、申請人難波本人尋問の結果により同月一九日夜の右同所の情況の写真であると認める同第三八号証の六の二三、弁論の全趣旨により、右同様の写真であると認める同号証の六の二二、二四、同月二〇日の右同所の情況の写真であると認める同号証の六の二五ないし二九および三一、同日正午頃の社屋外の情況の写真であると認める同号証の六の三五、同月一九日夜の西側玄関の情況の写真であると認める同号証の六の二〇、同日のローリング作業場に至る通路の情況の写真であると認める同号証の六の二一、証人阿野二郎の証言、申請人増田本人尋問の結果を綜合すると、次の事実が認められ、右認定に反する疎乙第四五号証の記載の一部はたやすく措信できず、他に右認定を覆えすに足りる疎明はない。

同日午後三時頃会社側は、高輪警察署に対して事情報告をし、その結果、午後四時頃警察官が新社屋四階の役員室に来たので、申請人岩切、同松岡は、労働争議に介入せず、直ちに出ていつてもらいたいと抗議に行つたが、これに応じなかつたため、組合側は協議の結果、警察の介入と会社側の挑発を避けるために、午後五時半頃申請人岩切の指示で、滞留体形を変更して、三方の壁にそつて坐り込んだ(滞留体形を変更したことは、当事者間に争いがない。)。このため大刷機とローリング機一台の包囲はとけたため、これを使用して作業することは可能となつたが、会社側が作業にかかると、組合員はシユプレツヒコールをしたり、罵声を浴びせたり、労働歌を唱つたりした。なお、右作業場に至る通路等の滞留については変更されず、部外者も会社の制止、警告を無視して自由に出入していた。

このような状態で、組合員は右ローリング作業場で徹夜し、翌二〇日も滞留を続けたため、会社側は二〇日午前六時五五分頃組合に対して、午前七時以降争議解決までロツク・アウトする旨を通告し、同所から退去するよう求めると共に立入禁止の通告をしたが、組合側がこれに応じなかつたので、警察官を導入したため、組合側はやむなく同日正午頃組合員をすべて社屋外に退去させた(会社側がロツク・アウト通告をし、組合員の退去要求と立入禁止の通告をしたが、組合がこれに応じなかつたこと、二〇日に警察官が導入され、組合員がやむなく社屋外に退去したことは、当事者間に争いがない。)。

(六)  前掲疎甲第四〇号証の一、疎乙第四五号証(一部)、証人角田俊吉の証言により昭和四〇年五月二〇日午前六時半頃の会社表玄関付近の情況の写真であると認める同第一五号証の二の四、証人阿野二郎の証言(一部)を綜合すると、次の事実が認められ、右認定に反する疎乙第四五号証の記載および証人阿野二郎の証言の各一部はたやすく措信できず、他に右認定を覆えすに足りる疎明はない。

申請人染谷は、闘争の行動面の任務を持つ青年行動隊の書記長として、闘争委員会決定および闘争委員長の指示に基き同月二〇日午前六時頃青年行動隊員一〇数名を指揮し、会社の建物に抗議のビラ貼り活動を行つた。ビラの内容は「食える賃金よこせ」「会社は暴力行為をやめろ」「団交を開け」「警察権力導入反対」などであり、貼付場所は、正面玄関のガラスドアや窓ガラスで、会社側が貼付後間もなくはぎとつたために、それほど手間をかけずにきれいになつた。

また貼付の態様も、ドアなどに一面に貼るというほどのものではなかつた。

(七)  前掲疎乙第三五号証、証人角田俊吉の証言により真正に成立したものと認める同第一六号証の一の一ないし一〇、同号証の二、同号証の三の一、二、同第一七号証の一の一ないし四、同号証の二、同第一八号証、同第五四号証の一、同証言により昭和四〇年五月一九日付東京新聞朝刊、同日付夕刊あるいは同月二〇日付朝刊の写真であると認める同第一九号証の一の一、二、同号証の二の一ないし四、同号証の三ないし五の各一、二、同阿野二郎の証言により真正に成立したものと認める同第五三号証の二、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める同第三八号証の三、四、証人石井義誠、同角田俊吉、同紺田俊雄(第二回)の各証言および弁論の全趣旨を綜合すると、被申請人主張の処分理由1(3)の事実が認められ、他に右認定を覆えすに足りる疎明はない。

六、その他

(一)  1 前掲疎甲第四〇号証の一、同第四一号証、証人角田俊吉の証言により真正に成立したものと認める疎乙第四八号証、同証言により昭和三九年一二月一五日午後六時頃の編集局内の情況の写真であると認める同第一五号証の三の四を綜合すると次の事実が認められ、他に右認定を覆えすに足りる疎明はない。

申請人染谷、同嶽本は、昭和三九年一二月一五日午後六時頃闘争委員長の指示により、表に「われわれと同一条件で闘つていた徳島労組は組合側の勝利となりました。会社は組合の強い団結に条件を撤回しました。みなさん、がんばりましよう。」と書いた新聞紙大の紙を貼り、裏に「沖繩をかえせ」「新聞労連東京新聞労組」と書いたプラカードを持ち、携帯マイクでその内容を伝達しながら、職場内を巡廻し、就業中の編集局職場内に入つたところ、職制が退去を要求したが、申請人染谷らは「正当な組合活動に対する挑戦ではないか。これまではこんなことを会社は言つていなかつたではないか。」と言つて、これには応ぜず、右伝達行為を継続した(申請人染谷が昭和三九年一二月一五日午後六時頃就業中の編集局職場内をプラカードを持つて歩き、携帯マイクで放送したことは当事者間に争いがない。)。

2 申請人染谷が、昭和三九年一二月二二日午後三時頃就業中の工務、広告各局職場内で、同月二七日午後三時頃就業中の編集、工務、広告各局職場内で、同月二九日午後就業中の工務局職場内で、それぞれ携帯マイクで放送したことは当事者間に争いがない。

3 前掲疎甲第四〇号証の一、同第四一号証によれば、組合は争議時には慣行的に右のような伝達方法を用い、会社も従来はこれを黙認しており、また、就業中の従業員には多少の迷惑を及ぼしたにしても、とりたてていうほどのものではなかつたものと認められ、右認定に反する疎乙第三二、四八号証の記載はたやすく措信できず、他に右認定を覆えすに足りる疎明はない。

(二)  申請人染谷が、昭和三九年一二月二六日午後二時三〇分頃無許可で職場を放棄し、職場懇談会を開いたことは当事者間に争いがない。

前掲疎甲第四〇号証の一、申請人難波本人尋問の結果により真正に成立したものと認める同号証の六、七によれば、申請人染谷は同月二五日午前一一時から二六日午後一一時五〇分まで指名ストに入つていたものであることが認められ、右認定に反する疎明はない。

七、就業規則

成立に争いのない疎乙第一号証(従業員就業規則)によれば会社の就業規則には、懲戒に関する次の規定が存在することが認められる。

第六七条 懲戒は左の六種とする。

一、戒告(責任を問い、将来を戒める。)

二、譴責(責任を問い、文書をもつて将来を戒める。)

三、減給(一回の額が平均給与の半日分以内一カ月間の総額が月の総給与額の一〇分の一以内で減給する。)

四、停職(一カ月の範囲で期間を定めて職務を停止し、出勤を止めて減給する。)

五、懲戒休職(三カ月の範囲で休職としその期間中は基準内給与の六割を支給する。)

六、懲戒解雇(行政官庁の認定を受けた場合は、予告手当を支給しないで即時解雇する。)

第六八条 従業員が、左の各号の一に該当する場合は、第六七条第一号ないし第五号の懲戒処分に付する。

四、故意または重大な過失により、社の機密をもらしまたは社に損害を与えたとき。

五、故意に業務の運営、社業の発展を阻害しようとする謀略行動のあつたとき。

九、他人に対して暴行脅迫を加えまたは暴力によつて社の業務を妨げたとき。

一〇、その他前各号に準ずる不都合な行為があつたとき。

従業員が、左の各号の一に該当する場合は第六七条第六号の懲戒解雇処分に付する。

一一、その他前項各号に該当し、情状重大と認められたとき。

第二、処分理由に対する当裁判所の判断

一、申請人らの行為の正当性

(一)  被申請人は、主として申請人らが組合員をして職場を占拠させ、あるいはピケツトを張らせて、会社の業務運営を妨害させ、あるいは自ら現場に臨んで右妨害行為を指揮したことを理由に、申請人らの責任を問うているので、申請人らの行為が正当であるか否かを判断するに先だち、まず、如何なる場合に如何なる態様の職場占拠およびピケツトが許されるかについて考えてみる。

ストライキの本質は、労働者の要求貫徹を目的とする集団的圧力形態としての労務供給拒否であるから、それを実効あらしめるために単なる労務提供拒否以上の何らかの行動に出ることも許されなければならない。その形態の一つが本件で問題となつている職場占拠であり、またピケツトである。

ピケツトが許される限界については、純粋な平和的説得すなわち、言論による説得の範囲に限られるとの説があるが、これを厳格に貫くことは、実際上ピケツトそのものを否定するに等しいものというべく、そのままの形では当裁判所の到底採用し得ないところである。これに対して、他の説は、労働者は市民法的自由によつて生存の必要をみたし得ない故にこそ、これと対立する自らの規範を作りあげてきたのであり、スト破りをしないこと、ピケラインの尊重ということは、まさに労働者のモラル、労働者階級の社会規範であることを理由に、ピケラインを越えようとする者に対しては、スクラムによつてこれを阻止することができるとする。しかしながら、この説によるときは、少数の従業員をもつて構成する組合がストライキを行う場合にも、就労しようとする多数の従業員をスクラムによつて阻止することを認める結果となつて妥当ではない。殊に、組合が二つ存在し、ある争議において一つの組合が妥結して就労しようとする際に、他の少数組合がその条件では妥結しないであくまでもストライキを行つて、ピケツトを張つた場合を考えれば、右理論の不当性は明らかであろう。けだし、この場合にも、就労しようとする一方の組合員はピケラインを尊重しなければならず、あくまでも就労しようとする場合には、スクラムによつて阻止されても、やむを得ないとすることは、結果的には各組合に争議終結の自由を認めず、最も強硬な争議手段をとる組合に統一させることを認めるに等しく、到底是認し得ないからである。また、使用者との関係において考えても、従業員の一部がストライキを行う場合にも、残りの従業員を総動員し、あるいは職制と呼ばれる者にもその本来の職務以外の労務を行わせて、営業を継続することは本来自由なはずであり、その結果が右ストライキを実質的に無意味ならしめたとしても、それは当該組合の組織力不足によるやむを得ない結果として、右組合はこれを甘受すべきであつて、使用者側が営業を継続する意思と実力を有し、それを実行しようとするに際し、組合に対しそのストライキを実質的に効果あらしめるために使用者の営業の継続をスクラムによつて阻止し得る権利を与えることはできない。このように考えると、後者の説をそのままの形で採用することはできないものというべきである。

以上のことから明らかなように、ピケツトの許容される範囲を考えるに当つては、他の従業員との関係、使用者との関係等諸般の事情を考慮しなければならない。

そこで考慮すべき事情について検討するに、まず、その態様において暴行、脅迫にわたる行為(如何なる行為が暴行、脅迫と評価されるかは、具体的事情によつて異る場合があり、勿論抽象的にこれを決することはできない。)が許されないことは、労働組合法一条二項に徴して明らかであり、この意味において、ピケツトは平和的なものでなければならないが、ピケツトがストライキを実質的に効果的なものにするためのものであることを考えると、就労しようとする者を単に言論で説得する行為のみならず、就労しようとする者に対し、スクラムを組んで説得の契機を作り、これを説得するために相当と考えられる時間立ち止まらせる行為も、言論による説得を可能ならしめるための予備的行為として、またそれ自体団結の示威による説得として許容せられるべきであるといわなければならない。しかして、右許容性の範囲を考えるに当つては、争議の過程における会社側の態度も考慮されるべきである。特に、ピケツトに対する態度が暴力的であつたり、挑発的である場合には、それに対応してなされたピケツトの許容性の範囲はかなり広いものとなるであろう。

次に、職場占拠とは、ストライキに伴い、その実効をあげる目的で使用者の意思に反し、相当時間にわたり、工場その他の事業場内に実力をもつて滞留する、集団的な争議行為であると定義づけることができるが、この職場占拠において問題となるのは、これが使用者の意思に反して企業施設内に滞留するところから、企業所有権ないし企業施設管理権との関係を如何に調整するかということである。右の判断にあたつては、これが流動する労使対抗の場の出来事であることに留意し、職場占拠に至るまでの経緯および占拠後の影響が考慮されなければならないが、我国においては職場が一般に組合活動の場であること、職場占拠が争議解決までの一過性のものであることなどから考えて、一般的には、排他的、全面的な職場占拠は許されないが、使用者の占有を併存させ、占拠も部分的であるような場合には許される場合が多いということができよう。ところで、職場占拠が排他的、全面的な占拠でない場合でも、単に滞留するに止まらず、これと共に就業その他の目的で来る会社側従業員に対して説得ないし阻止行為を行うことがあり、これに伴つて当該職場占拠の正当性が問題となることが多いが、この場合には、右の説得ないし阻止行為は、その場所が企業施設内であるということ以外、通常のピケツトの場合と異るところはないから、その正当性の限界については、前述のピケツトについてと同一に考えれば十分であろう。そして、企業施設の重要な部分で滞留による業務運営の阻止行為が行われた場合において、使用者側が労働者側の説得をきき入れずあくまでも業務を遂行させるように要求しているに拘らず、依然として滞留を続け、使用者側が業務を遂行するためには、滞留者を実力を以て排除する以外に方法がないような情況にたち至つたときには、右滞留はもはや説得の範囲を超えて使用者側の業務運営を阻害しているものというべく、違法たるを免れない。

(二)  以上の前提のもとに、前認定のうちの職場占拠およびピケツトの正当性について検討してみよう。

1 昭和三九年年末一時金闘争

申請人らは、「会社は、昭和三九年一二月三一日組合に対し、当日のストライキについては、争議行為に関し一切の責任追及をなさない旨確認した。」と主張するが、前認定(第一、三、(六))のとおり、会社側は、右の件については今後両者で前向きの形で話合う旨を確認したに止まるから、申請人らの右主張の理由がないことは明らかである。

(1) 工務局作業場の占拠(第一、三、(三))について

この占拠において組合側は、新聞製作のネツクにあたるローリング機および大刷機をとり囲み、重厚なスクラムを組んで新聞製作業務を妨げ、会社側の「新年号を刷る時間は刻々と過ぎて行く。妨害をやめて新年号が刷れるようにしてくれ。」との要求にも応ぜず、あくまでも占拠を続け、元旦号朝刊第一〇版の作業予定時間が過ぎてもこれを解かず、会社側においてあくまでも作業を強行しようとすれば、組合員を実力で排除する以外に方法がない状態にまでたち至らせたものであるから、右職場占拠は説得の範囲を超えた違法なものというべきである。そして、これは就業規則六八条四号、九号に該当する。

(2) キヤスター室入口のピケツト(第一、三、(四))について

このピケツトそれ自体を直ちに違法とすることができないことは、前述の前提からして明らかであるが、右ピケツト現場で組合側と会社側との間でもみ合いが生じているので、その点問題がないわけではない。しかし、右ピケツトは会社側職員の通行を阻止したのではなく、右紛争は、組合員の入室を妨ぐため、会社側がそれ自体は違法でないピケツトを実力で排除して扉を閉めようとしたことに起因するものであり、会社側のピケツトに対する態度に妥当を欠く点があつたことに徴すれば、右紛争の責任を一方的に組合側に帰することはできないものというべきである。

(3) 販売店主に対するピケツト(第一、三、(五))について

このピケツトは、社屋に入ろうとする者を相当強行に阻止した点で問題があるが、「販売店の者」と称する者が会社側職制と同様の服装をしていて、外見上納金に来た販売店主とは見えなかつたこと(そして、真実販売店主であつたことの疎明はない。)、会社側の者がピケ隊に体当りするなど暴力的、挑発的であつたこと、結局三〇分位後には、代表者二、三人を通していることなどの事情を考えれば、これをもつて違法とすることはできない。

2 昭和四〇年春季賃上闘争

(1) 工務局作業場の占拠(第一、五、(二)ないし(五))について

この占拠においても、組合側は昭和三九年末と同様新聞製作のネツクに当る部分に相当重厚なピケツトを張り、会社側の作業をはばみ、午前一一時の夕刊第一版の降版時間が迫つても依然として占拠を続け、やむなく実力によつてでも作業を行おうとした会社側職制に対してはこれに抵抗するなどして、あくまで作業を阻止する態度に出で、終には会社側をして新社屋での作業を断念させるに至つたものであるから、これをもつてなお団結の示威による説得の範囲に属するものとはいえない。会社側が作業を断念したのは、組合側の作業妨害の結果によるものであつて、団結の示威による説得に応じたものとは到底評価することはできない。従つて、右占拠は既に午前一一時頃までの段階において違法なものとなつていたものというべきである。

組合側はその後も占拠を続け、何とかして新社屋で作業できる状態にしようとして実力排除にのり出した会社側に抵抗して混乱を生じ、双方に怪我人まで出すに至つたのである。この間会社側の態度にも、排除することにのみ急で妥当を欠く面がないではないにしても、これはあくまでも占拠を続けて作業を阻止しようとする組合側の違法な行為に由来するものであつて、会社側を多く責めることはできず、まして組合側の占拠がこれによつて違法性を阻却するという類のものではない。従つて、組合側の右占拠は全体を通じて違法なものであるというべきである。そしてこれは、就業規則六八条四号、九号に該当する。

(三)  次に被申請人は、争議中に行われた職場集会や職場内における伝達活動、ビラ貼り等、職場内における組合活動や企業施設の利用を処分の理由としているので考える。

我国の労働組合は、本件組合もそうであるように、企業別に組織されているのが一般的であり、そのため、その活動は、主として、職場を中心とした企業内で展開されることになり、会社の施設を利用して行うことが一般化し、特に争議時においてはその必要性も著しくなる。ここにおいて、労働組合に保障されるべき組合活動の手段の範囲、限界と、企業に認められるべき所有権ないし施設管理権との相関々係を如何に解すべきかということが重要な問題となる。けだし、憲法は財産権と同様に組合活動の権利をも認めており、後者に絶対的優位性を認めることができないと同様、前者に絶対的優位性を認めて、後者を実質上無意味ならしめることも許されないからである。抽象的には「会社の構内管理権は決して無制限なものではなく、組合の団結権に基く組合活動との関係で調和的に制限せらるべきであるから、会社は組合活動の便宜をも考慮して、ある程度の譲歩を行うべきであり、組合としてもでき得る限り会社の右管理権を尊重しなければならないことはいうまでもないところである。」ということができ、具体的には、施設管理権は、企業体の構成要素である物的施設を、企業本来の目的に役立たしめるように、これを使用し、また維持、保全することをその内容とするものであるから、施設管理権の持つこのような内容、機能を、実質的に阻害するような場合にはその組合活動は施設管理権との調和を破るものとして許されないというべきであるが、それまでに至らない場合には、これを禁止することが、むしろ施設管理権の濫用になるものというべきである。

(四)  以上の前提の下に、前記各行為の正当性を検討してみよう。

1 昭和三九年々末一時金闘争の際の編集局における職場集会(第一、三、(二))について

就業中の編集局社会部においては、電話等を扱うためとその業務の性質上ある程度静粛であることが要請されると考えられるところ、一五〇ないし二〇〇名の組合員がスクラムを組んで労働歌を唱つたり気勢をあげたものである点が問題であり、職場内の組合活動としての集会が許容される場合があるとはいつても、如何にも行きすぎであつて、違法であるというべきである。そしてこれは、就業規則六八条一〇号に該当する。

2 昭和四〇年春闘の際のビラ貼り(第一、五、(六))について

このビラの内容は、「食える賃金よこせ」「会社は暴力行為をやめろ」「団交を開け」「警察権力導入反対」などであり、とりたてて問題とすべきものはなく、またその貼付の態様も、前述した意味において会社の施設管理権を実質的に侵害するようなものではないから、これをもつて処分理由とすることはできない。

3 その他

(1) 職場内におけるマイク放送等(第一、六、(一))について

これらの伝達行為は、就業中の職場内をマイク放送をして歩くものである点が問題であるが、争議時の、特にかかる伝達行為が必要とされる場合であり、会社側も従来はこれを黙認しており、結果的にもとりたてていうほど、業務の運営の妨げとなつたとも認められないから、これをもつて違法ということはできない。

(2) 職場放棄(第一、六、(二))について

申請人染谷は、この当時指名ストに入つていたのであるから、職場を放棄したからといつて、会社側がその責任を云々することはできないものというべきである。

(五)  結語

以上のとおりであるから、申請人ら組合員の行為のうちで違法と評価すべきものは、昭和三九年および昭和四〇年の工務局作業場内の職場占拠と昭和三九年の編集局社会部における職場集会だけである。

二、争議行為における組合員ないし組合幹部の個人責任について

被申請人は、申請人らが違法な争議行為を企画、決定、指導し、かつ、自らも現場に臨んで組合員を率先指揮したものであることを理由にその責任を追及するのに対し、申請人らは、〈1〉就業規則に定める規律違反を理由とする解雇等の処分は、個別的労働関係の主体たる個々の労働者としての行為についてなしうるのであつて、団体たる労働組合としての争議行為についてはなしえないこと、〈2〉組合幹部として、民主的に形成された意思に基いて争議行為を実行したにすぎない場合には、個人の責任を問うことはできないこと、〈3〉個々の場合に違法な争議行為があつたとしても、それは申請人らの決定、指令、指示の範囲を超えるものであること、を理由として申請人らの責任を争つているので判断する。

そこで先ず、〈1〉の主張について考えるに、個々の組合員が組合としての争議行為に入ると、いわゆる集団的労働関係が生ずるが、その場合においても、個別的労働関係が解消されるとする理由はなく、当該争議行為が違法であり、且つ右違法争議行為について組合員個人の責任が認められる場合には、なおそのことを理由として組合員に対し、個別的労働関係上の責任(懲戒責任)を追及することは可能であるというべきである。

次に右〈2〉の主張について考えるに、違法な争議行為が、組合の意思決定機関である組合大会ないしは闘争委員会の決議に基くもので、組合員たる者としてはこれに従う義務があるとしても、その義務は、違法な行為をしてはならないという義務に優越するものではなく、違法行為に出でないことを期待することができないような特段の事情が認められない限り(本件においてはかかる事情は認められない。)、組合機関の決定に従わなければならないという義務があることは、たかだかその責任の軽重を判断する場合の一つの事情たるにすぎないものというべきである。

なお、申請人らが組合幹部(機関)であることを理由に違法争議行為の責任を問いうるかについて考えるに、本件において、申請人らは、右各違法争議行為の当時、単に闘争委員長、闘争副委員長、闘争委員の地位にあつたというだけでなく、右各争議行為を企画、決定、指導したのであり、右企画、決定、指導は組合の議決機関、執行機関としてなされたものと推認されるところ、ある行為が団体の機関としての行為であるということと、団体の機関個人の責任との関係をどのように考えるべきかということが問題となる。団体の機関の行為が団体の行為であつて機関個人の行為とはならないとの評価を受けるのは、法律行為の効果の帰属関係を決定する場合だけであつて、事実行為については、それが団体の機関としての行為であるために、団体自身の行為であると評価されて、団体の法的責任が問題となる場合であつても(民法四四条参照)、現実の行為者たる機関個人も、団体とは別個に独立の法主体たる地位を有するのであつて、その限りでは機関個人についても、団体の責任とは別個の責任が問題とされうるのである。このことは、会社の代表取締役が会社の業務を行うについて詐欺をしたような場合、その相手方は会社に対してのみならず、代表取締役個人に対しても不法行為責任を追及でき、また国家は、代表取締役個人に対して刑事責任を問うことができることを考えれば自ら明らかであろう。このことは違法な争議行為の責任を考える場合であつても全く同様であり、組合員が団体たる労働組合の機関として右争議行為を行なつた場合であつても、組合員個人の責任を問いえないとする理由はない。

最後に右〈3〉の主張について考えるに、当裁判所が違法であると評価するものは、前記のとおり申請人らの企画、決定、指導および指揮に従つた昭和三九年末の職場占拠および職場集会と昭和四〇年の職場占拠であつて、右各争議行為の際の突発的に発生した個々人の個別的な行為ではない。すなわち、組合員の団体としての争議行為が全体として業務妨害となつて違法であると評価しているのであるから、申請人らの右主張は理由がない。

以上のとおりであるとすれば、右違法な争議行為の企画、決定、指導にあたつた申請人らは、個人としてもその責任を負うべきものであるから、会社がこのことを理由として申請人らに対し何らかの処分をすることもまた許されるべきである。ところで、本件においては、右違法争議行為に参加した多数の他の組合員の責任は問われず、申請人ら闘争委員ら組合幹部のみがその責任を問われているのであるから、このように申請人らを他の組合員と差別すべき実質的理由があるかどうかが問題となる。この場合に、申請人らが組合幹部であるということだけでは右差別を理由づけることはできないというべきである。そこで申請人らが本件において果した役割について考えてみると、昭和三九年年末一時金闘争および昭和四〇年春闘時において、申請人岩切は闘争委員長、同増田は闘争副委員長、同松岡、同染谷、同嶽本、同難波は闘争委員として、いずれも争議行為の企画、決定、指導に当つていたものである(ただし申請人難波は、昭和三九年一二月三一日の職場集会および職場占拠の企画、決定および同日の職場集会の指導には当つていなかつた。)ことは前記のとおりであるから、いわば組合員を指揮統制する立場にあつたのである。しかして本件の各違法な争議行為が、当初からそのようなものとして申請人らによつて企画、決定されたということまでの疎明はないが、申請人らの企画、決定、指導による前記職場占拠等の争議行為が、前認定のような正常とはいい難い労使関係のもとで、前記の如き多数組合員によつて実行されるときは、組合員に予め、会社の挑発には絶対にのるな、殴られても殴り返えすなと周知させることだけでは、勢の赴くところ、争議行為が業務妨害の域にまで達して違法の評価を受けるに至ることのあることは、何人にも予見し得ることであつて、申請人らは、本件争議時の組合幹部として、これを未然に防ぐべき、更らに強力な措置を用意すべきであつたといわねばならず、この点において、すでに申請人らは、他の組合員と責任の軽重において異るところがある。しかも、申請人岩切、同増田は編集局社会部の職場集会(第一、三、(二))において、申請人岩切、同増田、同松岡は昭和三九年末工務局作業場占拠(第一、三、(三))の際、申請人岩切、同増田、同松岡、同難波は昭和四〇年春闘工務局作業場占拠(第一、五、(二)ないし(四))の際、いずれも現場に臨んで組合員を指揮したものであるところ、右申請人らが組合員らに対し、右各争議行為が違法に亘らないように制止するなどの働きかけを行つたことの疎明はないのであるから、少くも右申請人らは、この点においてもその責任は、他の参加組合員より重いものといわねばならない。そうとすれば、同じ違法行為に向けられた行為であつてもそれを指揮した者と、その指揮に従つたにすぎない者との間には、自ら責任の軽重があり、その軽重に対応して組合幹部に重い責任を負わせる結果となつたとしても、それは、単に組合幹部であるというだけの理由ではなく、合理的な理由に基くものであるから、決して不当とするには当らない。

三、本件各処分の妥当性

前認定(第一、七)のとおり就業規則には懲戒処分として、戒告、譴責、減給、停職、懲戒休職、懲戒解雇の六種類が定められ、懲戒解雇については、特に、情状重大と認められる場合に限定されている。かように数個の懲戒処分が段階的に規定されている場合に、そのいずれを選択するかは懲戒権者たる使用者の完全な自由裁量に委ねられているのではなく、懲戒原因となる行為の動機、態様その他諸般の事情を勘案し、懲戒事由と懲戒処分との間に社会観念上相当と認められる均衡が存在することを必要とし、使用者がその裁量を誤り均衡を失する懲戒処分をしたときは、懲戒権の濫用として無効であると解すべきである。

これを本件についてみるに、前記申請人らの違法行為により会社が蒙つた損害は多大である(第一、三、(三)および第一、五、(七)参照)が、一方、組合側が右行為をなすに至るまでの経過についてみると、前認定(第一、二)のような会社側の組合に対する数々の背信行為、支配介入行為に加えて、年末一時金等について協議が整い調印するばかりになつた段階で、しかも一二月三一日という時点において突如として新たな条件をつけ加えるという極めて背信的な行為に対抗して、昭和三九年一二月三一日の職場占拠および職場集会が行われたのである。しかも、右条件が、会社側が行なつた明らかな不当労働行為に関し、その責任を追及しないという趣旨のものであることをも考えると、これに対抗する組合側の行為が過激なものとなることもある程度やむをえないものがあり、責任の軽重を考えるに当つては十分考慮すべきことである。そして、会社側も、右の件については、今後前向きの形で話合う旨を確認し(第一、三、(六))その後昭和四〇年五月一九日の件が発生するまで何らの責任追及もしていないこと(弁論の全趣旨によつてこれを認める。)をも併わせ考えると、昭和三九年一二月三一日の件をもつて重大な責任原因とすることはできない。

更に、昭和四〇年になつてからも会社の組合に対する態度は改まらず、反組合的言動、差別待遇を行い、団交を拒否するに至つた(第一、四)ために、同年五月一九日の職場占拠が行われたのである。昭和三九年年末闘争において、前記のような会社側の行為によつて決定的なものとなつたと推測される労使間の不信が、その後に行われた会社側の右言動によつて、強められこそすれ、決して弱められることがなく、この不信が右職場占拠の行きすぎの原因をなしているものと考えられる(組合が昭和三九年末以前においてはかかる違法な職場占拠を行なつたことがなかつたことは、弁論の全趣旨によつて認められる。)のであつて、会社側にも一半の責任があり、申請人らの責任のみを強調することは妥当でない。

そして、本件における一連の経過を眺めてみると、いずれも申請人らが組合員を煽動して違法行為に至らしめたというより下からのもり上りによつて右のような事態に至つたという面があることも否定できないことをも併わせ考えると、会社がなした申請人岩切、同増田、同松岡、同染谷に対する本件各懲戒解雇処分並びに申請人嶽本、同難波に対する懲戒休職(三ケ月)の処分は、いずれも重きに失し懲戒権の濫用として無効であるというべきである。

第三、賃金債権

一、会社の給与体系および基準外給与の性格

(一)  申請の理由(三)の1および2の事実は当事者間に争いがない(なお、被申請人は精勤手当は基準外給与に含ませるべきであると主張するが、いずれにしても結論に差異はないので、便宜上申請人らの主張に従う。)。

(二)  申請人らの基準外給与の算出方法

ところで、労働は他の商品と異り、貯蔵性がないから使用者が解雇や休職処分によりその受領を拒否した場合において、右処分が無効である場合には、民法四一三条の受領遅滞の観念を容れる余地がなく、危険負担に関する民法五三六条二項の規定の適用があり、同条項の「反対給付ヲ受クル権利」とは、損害賠償請求権ではなくして、双務契約より生ずる本来の賃金請求権そのものであることはいうまでもない。そして右賃金請求権の範囲は賃金が一定額である場合にはその一定額であること勿論であるが、本件におけるように、基準外給与のような必ずしもその額が一定しない部分がある場合においても、それが極く例外的に支給されるのではなく、本件の如く恒常的に支給されている場合には、その部分もなお「反対給付ヲ受クル権利」の範囲に含まれるものと解すべきである。

宇都宮正至作成部分の成立につき争いのない疎甲第二五号証の一の一、申請人岩切作成部分の成立につき争いのない同号証の一の二、申請人松岡作成部分の成立につき争いのない同号証の二の一、申請人岩切作成部分の成立につき争いのない同号証の二の二ないし一二および弁論の全趣旨を綜合すると、申請人岩切、同増田、同松岡は、本件解雇処分当時組合専従であつたが、その後申請人岩切、同松岡は昭和四〇年一二月一二日、同増田は同年七月三〇日をもつて、それぞれ組合専従を解かれていることが認められ、右認定に反する疎明はない。そうすると、右申請人らは、本件解雇が無効である以上、組合専従を解かれた後は、基準内給与と共に、基準外給与の支払を受けるべき権利を有することとなるが、本件解雇当時組合専従であつた関係で、右申請人らが本件解雇当時平均いかほどの基準外給与を受けていたかを算定することは不可能である。しかしながら、前認定のように、会社においては基準外勤務は恒常化していたのであるから、もし右申請人らが組合専従を解かれた後に就業していたとすれば、基準内給与のほかに基準外給与の支払をも受けたであろうことは明白である。このような場合には、他に特段の事情なき限り、申請人ら主張のように、右各申請人らと同職場、同職種に勤務し、同人らと同一年次に入社した者の基準外給与の平均額をもつて、その基準外給与額とするのが最も妥当であると考える。

次に、申請人染谷、同嶽本、同難波については、右のような事情はないが、前述のように、基準外給与額は必ずしも一定していないのであるから、ある程度の期間の平均額をもつて算定せざるを得ないが、その期間をどの程度といつたらよいかは必ずしも明らかでない。労働基準法一二条は、「この法律で平均賃金とは、これを算定すべき事由の発生した日以前三箇月間にその労働者に対し支払われた賃金の総額を、その期間の総日数で除した金額をいう。」と規定しているので、本件においても、三ケ月間の平均額を右申請人らの平均基準外給与額とすることも一つの方法ではあろうが、勿論労働基準法の右規定は民法五三六条二項とは直接関係はないので、本件において右規定に拘束されるいわれはない。本件において右申請人らについて基準外給与の平均額を算定する必要性は前述のとおりであり、この趣旨からすれば、右労働基準法の規定をも考慮して著しく不相当と認められない限り、適宜の期間をとつてこれを算定することも許されるものと解する。本件において右申請人らは、昭和三九年四月分から昭和四〇年三月分までの基準外給与の平均をもつて、同人らの基準外給与額としているのであるから、これをもつて著しく不相当とは認められないのでこれを採用すべきである。

(三)  精勤手当

会社においては、欠勤が就業規則による有給休暇の日数を越えない場合、一律四〇〇円の精勤手当を従業員に支給していることは、当事者間に争いがない。このことからすれば、右基準外給与について述べたと同じ理由により、これをも民法五三六条二項の「反対給付ヲ受クル権利」に含ませるべきである。

(四)  申請人らの受けるべき賃金額

以上のとおり、申請人らは基準内給与は勿論、基準外給与および精勤手当についても請求権を有することとなる。この前提によつて申請人岩切、同松岡、同増田、同染谷の一ケ月分の賃金を計算すると別紙(二)賃金目録のとおりとなることは当事者間に争いがない。これに基いて計算すると、申請人岩切は昭和四一年一月末日までに受けるべき分として金七〇、一四〇円、同松岡は同日までに受けるべき分として金六八、二一六円、同増田は昭和四〇年八月末日までに受けるべき分として金三九、二五五円、申請人染谷は同日までに受けるべき分として金二九、三五〇円の賃金請求権を有し、また申請人岩切、同松岡は昭和四一年二月以降、同増田および同染谷は昭和四〇年九月以降毎月一〇日および二五日に、それぞれ別紙(一)債権目録記載の各金員の支払請求権を有する。

また、右前提によつて計算すると、申請人嶽本、同難波が本件休職処分により昭和四〇年八月ないし一〇月分の賃金のうち、別紙(三)賃金減額目録記載のとおりであることに当事者間に争いがないので、右申請人らが右金額の支払請求権を有することは明らかである。

第四、保全の必要性

申請人らはいずれも労働者であつて、前掲疎甲第四二号証、申請人岩切本人尋問により真正に成立したものと認める同第四六号証の一ないし四によれば、申請人岩切、同増田、同松岡、同染谷の四名は、本件解雇直後から組合の貸付金等によつてその生活を維持し、苦しい生活をしていることが認められる(他に右認定に反する疎明はない。)ので、保全の必要性もまた存するものというべきである。

申請人らは、更に「申請人嶽本、同難波については、休職期間中基準内賃金の六割の支給をうけてはいるが、基準内賃金だけについても休職三ケ月で一二割の減俸となり更に新聞労働者の賃金において重要な部分を占める基準外賃金については、右期間中一切支払われておらず、このため両名は大きな借財を負つて苦しんでいるのであるから、右両名についても保全の必要性があることは明白である。」と主張するが、右借財についての疎明はなく、また右賃金は過去のものであり、右休職期間満了後には申請人両名はいずれも平常の勤務に服し、通常の賃金を得たものであることは、弁論の全趣旨に徴して明らかである(尤も、成立に争いのない疎乙第五七号証によれば、申請人難波は昭和四二年九月三〇日に会社を退職していることが認められる。)から、然るときは、右申請人らが、本案の確定判決までに右賃金の支払を受けなければ著しい損害を蒙る事情について、特段の疎明を要すべきところ、その点に関する疎明はない。従つて、右両名に関する本件各申請は、保全の必要性がないものとして、これを棄却すべきである。

第五、結論

以上説示したとおり、申請人らの本件各申請のうち、申請人岩切、同松岡、同増田、同染谷に関する部分はいずれもその理由があるので、これを認容し、申請人嶽本、同難波に関する部分については保全の必要性がないので、これを棄却し、訴訟費用については民事訴訟法八九条、九二条但書を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 西山要 島田禮介 瀬戸正義)

(別紙(一)) 債権目録

氏名

毎月一〇日支払分

毎月二五日支払分

岩切信

一四、四三六円

三八、二五〇円

松岡昭良

一八、七九七円

三五、四〇〇円

増田俊二

一〇、一五一円

三八、一〇〇円

染谷晃

六、四七七円

二九、三五〇円

(別紙(二)) 賃金目録

氏名

毎月一〇日支払分

毎月二五日支払分

岩切信

(二) 一四、四三六円

三八、二五〇円

(一) 三七、八五〇円

(三)    四〇〇円

松岡昭良

(二) 一八、七九七円

三五、四〇〇円

(一) 三五、〇〇〇円

(三)    四〇〇円

増田俊二

(二) 一〇、一五一円

三八、一〇〇円

(一) 三七、七〇〇円

(三)    四〇〇円

染谷晃

(二)  六、四七七円

二九、三五〇円

(一) 二八、九五〇円

(三)    四〇〇円

註 (一)…基準内給与 (二)…基準外給与 (三)…精勤手当

(別紙(三)、(四)省略)

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